コラム

医学と医療

2018.01.08

道徳心は脳のどこにあるのか? ―コネクトームから見た犯罪者の脳―

1.脳の特定の領域は犯罪を引き起こす

脳はひとの心,そのものである.このため脳の病気がひとの心を変えてしまうことがある.つまり,性格や道徳心を変えてしまい,犯罪や暴力につながることさえある.優秀なテキサス大学の学生であったCharles Whitemanは,右側頭葉の脳腫瘍のため性格が変わり,母・妻を含む16人を射殺した(テキサスタワー乱射事件;図Aは新聞記事).脳腫瘍が扁桃核を圧迫し,暴力衝動を誘発していたと推測された.以前,ブログで紹介した,まじめな鉄道建築技術者であったPhineas Gageは,爆発事故で鉄パイプが左目の下から前頭葉の腹側正中前頭前皮質(ventromedial prefrontal cortex; vmPFC)に突き刺さったあと性格が一変し,反社会的,下品で決断のできない人間になった(アメリカの鉄梃事件:図BC).これらは稀な事例ではなく,日常でも前頭側頭型認知症,ピック病では人格障害や反社会的行動が出現し,万引きなどの犯罪行為につながってしまう.

2.40名の犯罪者の脳病変に共通のネットワーク障害を認めた

これらのことから,脳のどの部位の障害が犯罪につながるのだろうかという疑問が生じる.これまでの犯罪者の脳の病変に関する研究では,犯罪者によって病変はさまざまで,また多数例で検討した報告もなく,よく分かっていなかった.裏を返せば犯罪を起こさない正義や道徳心を司る脳の部位は未だ分かっていなかった.

今回,米国バンダービルト大学から,脳に病変を持つ40名の犯罪者に関する検討が報告されている.目的は,近年,研究が進んでいる脳内の各領域を結ぶネットワーク(コネクトーム)を犯罪者脳に当てはめて,共通部位がないか確認しようというものである.つまり,共通する脳のネットワークに生じた障害が犯罪を起こすのではないかという仮説である.

方法は,犯罪者の脳画像検査を報告した論文を集め,40症例を集積している.つぎに脳病変の出現後に犯罪を起こしたという時系列が明白である17症例を対象とした.図Dのように前頭前皮質や眼窩前頭皮質,側頭葉など障害部位はさまざまで,単一の病変では説明がつかない

次に病変ではなく,病変がつながる脳ネットワークの障害が原因であると仮説を立てた(lesion network mappingという手法である).1000人の健常者の脳コネクトームを調べ作成したデータベースを用いて,17例の障害部位を重ね合わせると,ほとんどが,Gageが損傷を受けたvmPFCと結合しており,さらにdmPFC(dorsomedial PFC;背側正中前頭前皮質)とも結合していた.この「犯罪関連ネットワークパターン(図E赤)」はこれまで報告された神経精神疾患のネットワークパターンとは異なるもので,認知制御や共感・感情移入の領域は含まれていなかった.その一方で,道徳,価値感に基づく意思決定,theory of Mind(他人が自分と同じように考えているという認識部位)のネットワークを含んでいた(図E緑および黄).

最後に,脳の障害時期と犯罪の時間関係が分からないため,最初の検討から除いた23例について,各自の脳ネットワーク障害が,今回特定した犯罪行為と関わるネットワークと重なることを検討し,再現性があることを確認している.

3.本研究の注意点と課題

この論文を読んでまず感じたのは,注目してきたコネクトーム研究がこのような領域に役立ったという驚きである.「脳の回路や活動」を直接見ることができれば,脳や疾患の理解が変わるのではないかと考えていたが,罪を犯す心を解明しうるとは想像もつかなかった.さらに次のことを考えた.

  1. 将来,脳の病気で自分や周囲の者が罪を犯すかもしれないと考えると非常に怖い.

  2. 脳の病気により罪を犯した者をどのように罰すればよいのか?

  3. 自分や周囲の者が犯罪の被害者になり,その犯罪が脳の病気によるものと診断された場合,犯罪や犯罪者をどう考えるだろうか?

加えて,医師として考えたのは以下の3点である.

  1. これまで脳病変が原因で罪を犯した者を正しく診断できていたのか?

  2. 脳病変が原因で罪を犯した者の責任能力を正確に問うことができるのか?

  3. 脳病変が原因で罪を犯した者,犯すかもしれない者を正しく治療できるのか?

いずれも非常に難しい問題である.それだけこの論文の社会的インパクトは非常に大きい.

しかし,著者も考察で述べているように犯罪行為は脳のネットワーク障害単独で説明がつくものではないことを強調する必要がある.これまで犯罪に対して遺伝,環境因子,社会的サポート,発病前の人格的特徴等が影響することが知られている.さらに著者らの示したネットワークの障害を来す病気は非常に多いが,犯罪を来すのは一部の症例である.この論文を出発点として,多くの領域の人々による議論を要する問題である.

Darby RR et al. Lesion network localization of criminal behavior. Proc Natl Acad Sci U S A. 2017 Dec 18. pii: 201706587.

【過去の記事へのリンク】

新しい脳の捉え方 ―コネクトーム・脳透明化・次世代スパコン―

Phineas Gageの頭蓋骨と対面する@ハーバード大学

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