概要

VOICE~岐大医学部から~

退職教授からのメッセージ

脳神経科学講座
脳神経外科学分野分野
岩間 亨 先生

『VOICE-岐大医学部から-』第127回は、令和5年3月をもって退職となった、医学部医学科 脳神経外科学分野 岩間 亨 先生にお話を伺いました。

教員生活を振り返って

1983年に岐阜大学を卒業し、大学病院と岐阜市民病院で初期研修を終えた後、大学院、県立岐阜病院(現 県総合医療センター)、国立循環器病センター(国循)を経て、1998年に大学病院に戻りました。臨床と外来・病棟医長といった現場の管理業務に明け暮れていてあまり教員らしいことをしていた記憶はありませんが、出身であるソフトテニス部のコンパと奥穂高の夏山診療所には欠かさず参加して、そこで学生達とよく話をしていました。教授に就任してからは、臨床・研究と共に学生教育に多くの時間を費やしてきました。教育は教授の重要な仕事であり、医学的知識だけでなく、自分達の本当の姿、考え、生き様を率直に見せて聞かせることが、医師の仕事、脳神経外科の魅力を彼等に伝え、自分達の仲間を増やすことに繋がると考えてきましたので、忙しくても毎週必ず数時間は臨床実習の学生と時間を共にしました。世代が異なるため当然考え方に違いはありますが、若い彼等から学ぶことも多くエネルギーも貰いました。雑談の方が多かったかもしれませんが、それも含めて学生諸君の視野を広げることに繋がったのであれば望外の喜びですし、人と話すことが好きな自分にとっては楽しい時間でした。感謝しています。

次世代へのメッセージ

医師になった時、「腕のいい脳神経外科医になって患者さんの役に立ちたい」という事しか頭にありませんでしたが、大学院時代には脳外科に関わる機会もなくて先輩のクリニックで一般診療をしていました。それはそれでそれまでと違った経験で新鮮だったのですが、同僚がどんどん手術を経験していく中、焦る気持ちもありました。臨床に戻った後も手術の機会は少なく重症管理ばかりしていて、卒後10年が経つ頃には「手術ができなくても役に立つことはできる、なるようになるさ」と半分開き直っていました。手術のチャンスはないと覚悟して赴任した国循でしたが、そこでたくさんの患者さんの主治医を任され、図らずも多くの手術を経験する機会が得られたのは、結局のところ一般診療や重症管理で培ってきた患者管理能力が周りから信頼されたからだと思います。「手術ができなくても・・」と思いつつも、「いつか手術を任される時が来たら・・」と、助手を務めながら「何故こうするのだろう」「どうして?」と術者の所作の理由を懸命に考えながら見ていたお陰で、チャンスをいただいた後は様々な手術に挑戦していくことができました。

人生、先のことは分かりませんし、思い通りになることはまずありません。分からないこと、思い通りにならないことをあれこれ考えていても仕方ありませんので、自らの目標を見失わず、その時々に自分に出来ることをするといった「首尾一貫感覚」が大切です。そして、医師であれ、他の職業であれ、私達は社会の中で生きていますので、「利己」ではなく「利他」の気持ちを忘れないこともとても大切なことだと思っています。皆さんの活躍をお祈りします。

略歴

1983年

岐阜大学医学部医学科卒業

岐阜大学医学部附属病院脳神経外科医員(研修医)

1984年 岐阜市民病院脳神経外科
1990年

岐阜大学大学院医学研究科修了

岐阜県立岐阜病院救命救急センター兼脳神経外科

1992年 国立循環器病センター外科・脳血管部門
1998年 岐阜大学医学部附属病院脳神経外科 助手
2000年 岐阜大学医学部附属病院脳神経外科 講師
2004年 岐阜大学大学院医学系研究科脳神経外科学分野 教授
2006年 岐阜大学医学部附属病院 副病院長(~2010年)
2010年 岐阜大学医学部附属病院 病院長(~2014年)
2018年 岐阜大学大学院医学系研究科長・医学部長(~2020年)
2020年 東海国立大学機構岐阜大学副学長(広報・地域医療連携担当)(~2022年)

学会役員

日本脳神経外科学会(評議員・監事)
日本脳卒中学会(評議員・代議員・理事)
日本脳卒中の外科学会(代議員・理事長)
日本小児神経外科学会(評議員・監事)
日本脳神経血管内治療学会(監事)
日本脳腫瘍の外科学会(評議員)
日本脳ドック学会(評議員)
日本脳神経外傷学会(代議員)
日本心血管脳卒中学会(学術評議員)
日本脳神経外科認知症学会(理事)

受賞

2016年 平成28年度「科研費」審査委員表彰
2018年 岐阜大学学長表彰
2019年 第69回岐阜新聞大賞学術部門
2020年 厚生労働大臣表彰



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