VOICE~岐大医学部から~
退職教授からのメッセージ
地域生涯発達看護学講座
成人看護学分野
西本 裕 先生
『VOICE-岐大医学部から-』第124回は、令和4年3月をもって退職となった、医学部看護学科 地域生涯発達看護学講座 成人看護学分野 西本 裕 先生にお話を伺いました。
教員生活を振り返って
昭和56年に岐阜大学を卒業して、整形外科に入局し、同時に私は即大学院に入学しました。骨・軟部腫瘍の診療をしながら、学生時代から関心のあった腫瘍免疫についての実験もしましたが、当時注目され始めたコンピュータ利用による臨床情報の数理解析の方が面白くなり、それが学位論文になりました。それ以後、臨床も研究も観察系に重心を置いています。整形外科を中心とした21年間の中ではマサチューセッツ総合病院での1年間の印象が強く残っています。多くの同種骨移植手術に立ち合わせてもらえましたが、何より異文化の中にいたことで医療における個人の尊重、今でこそ当たり前のインフォームドコンセントの本当の意味を知る機会になりました。それは、今も続く整形外科診療、パラスポーツへの関わりに活きています。
そして、平成14年に看護学科に移り、教育が中心となりました。教員としての期間の半分以上が、看護の基礎である疾病・治療論の教育になりました。当初は整形外科以外も自分で講義を組み立てたものですが、要点を絞り課題ごとに学生に発表機会を与えたところ、学生のニーズと能力に応じた内容を誘導できることが判り、改めて学生の柔軟さを感じることができました。最後の2年間はCOVID-19の影響を受けましたが、学生の発表、そしてその評価も学内LANを利用していたことから比較的その影響を抑えることができたように思います。
次世代へのメッセージ
私の教員生活は、骨・軟部腫瘍患者の命、生活を支えるという点では結果的につながったのですが、決して一つの診療、研究を究めたとまでは言えず、その時その時の対応の連続でした。暗い大洋に漕ぎ出してどちらに進んで行けばよいのかわからなくなることがあります。夜空も回るそのような時に、北極星や自分の道しるべになる星を探し出すことが大切だと思います。時には東に行ったり、西に行ったり、いろいろな文化に接し、いろいろな人に支えられながら、自分の目指すべき星が見えてくるように思います。決して焦らず、その時その時を着実に自分のものにしていただきたく思います。
その時、時間軸は加速度的に速まっているので自分の辿ってきた航程が参考にならない場合もあります。昭和60年にマイコンに50行50列の計算をさせると13時間かかりました。翌年パソコンと呼ばれるようになって1時間20分でできるようになりました。待っている間にいろいろと考えることもできたのですが、今同じ計算はキーを押した途端に答えが返ってきてグラフに示される時代です。製本された医学中央雑誌を引き出してきてわずかな論文を集めるのに半日かかっていましたが、今や全世界の論文の多くを短時間で手に入れられます。知識や情報処理は頭の外に任せて、夜空を見上げる意識の転換が必要かもしれません。その意味でこれまでの自分のやり方にこだわらない柔軟性も試されていると感じています。
略歴
1985年 | 岐阜大学医学部附属病院医員 |
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1986年 | 岐阜県技術吏員(岐阜病院医師) |
1988年 | 岐阜大学医学部助手 |
1998年 | 岐阜大学医学部附属病院講師 |
2003年 | 岐阜大学医学部助教授 |
2006年 | 岐阜大学医学部教授 |
2022年 | 同上 定年退職 |
学会役員
中部日本整形外科災害外科学会 評議員 | |
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日本整形外科学会 代議員 | |
岐阜県体育協会 理事 (現岐阜県スポーツ協会) |
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岐阜県体育教会 スポーツ医科学協議会 副会長 (現岐阜県スポーツ協会) |
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岐阜県スポーツ推進審議会 副会長 |
受賞
2010年 | 計測自動制御学論文賞 |
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