VOICE~岐大医学部から~
母性看護学からのメッセージ
医学部 看護学科
母子看護学講座
母性看護学分野
教授 井關 敦子先生
『VOICE-岐大医学部から-』第71回は、2015年6月に教授に就任されました、医学部 看護学科 母性看護学分野 教授 井關 敦子先生にお話を伺いました。
看護師・助産師になられたきっかけは?
高校生のときに,一生できる仕事に就きたいと思ったことがきっかけです。高校卒業後,看護専門学校に入学し、卒業後は,名古屋市内の大学病院で数年間,勤務しました。
その時の自分を振り返ると、人生の明確な目標が定まっていないのと、プロ意識が乏しかったのでしょう、専門職として積極的に学ぶ姿勢に欠けていたと思います。また文房具と縁が薄い生活が何とももの足りなく「これではいけない」と思うようになりました。「新しい事にチャレンジしたい」という性分もありまして、受験勉強を始め助産師養成所に入学しました。助産師資格を取得後は、親の介護,主婦業を経た後、助産師として数年間、病院や診療所で勤務しました。その後,保健師の勉強がしたくなり、また受験勉強を始め、短期大学の保健学専攻課程に進みました。
教員になられたきっかけは?
保健師養成所を卒業後は保健師業務に従事したかったのですが、狭き門でしたので就職は断念しました。そんな時に、ナースバンクから看護専門学校の専任教員を紹介されました。臨床とは違う世界で仕事がしたかったのと、「新しいことにチャレンジしたい」という思いもありました(笑)ので,愛知県内の看護専門学校の専任教員として就職しました。その後、大学院で学びながら香川医科大学看護学科(現在の香川大学医学部看護学科)、三重大学医学部看護学科を経て、この6月から医学部看護学科に赴任いたしました。
どのような研究を行っていますか?
これまでに行った研究の一つは,里帰り分娩と、それを支援する実母に関する ものです。実家で里帰分娩した娘さんの実母に対し,アンケートを実施したところ,子育てに対する娘との意見の食い違い(ジェネレーションギャップ)や自分自身の役割に対する葛藤など,意外と否定的な意見がありました。就業女性が多い現代であっても、里帰り分娩という風習は、今後も続くと予想されます。その実態を踏まえて、実母の支援状況の確認など,看護師・助産師の立場からの情報提供やサポートの必要があるかも知れないと考えています。
もう一つは,助産師学生に対する分娩介助技術に関するものです。日本の助産師教育において助産師学生は「正常分娩の介助10例程度」を経験することが定められています。しかし、諸外国では30~40例と日本よりも多く,少子化が進む日本ではこの10例でさえ確保しづらい状況となっています。加えて,最初に体験する数回の分娩介助では,児の娩出速度や娩出圧を予測できない、過緊張のせいで分娩介助の振り返りが困難、というのが実情です(私も同様の思いであったことを記憶しています)。そのため、学生の準備性を高めておき、10例の分娩介助を、いかに安全かつ効果的に行うかということは、助産師教育上の重要な課題です。最近取り組んだ研究では、疑似分娩介助体験のできる産科シミュレーターを使った学習モデルによる演習を行い,助産師学生にアンケート等を実施しました。そのアンケートからは,産科シミュレーターの使用や教員の介入により,「児頭の娩出圧や娩出速度が予測できた」「分娩介助に関する心理的な準備ができた」「産科シミュレーターのみならず教員の充実した指導は重要」という結果が確認できました。
看護師・助産師を目指す学生へのメッセージ
保健師,助産師,看護師は,一生続けることのできるすばらしい仕事で世界のどこにいっても活躍できます。助産師は、女性に寄り添い女性と子供たちを守る重要な仕事ですので,多くの方が助産師をめざしてくださると嬉しく思います。
略歴
1980年 | 名古屋市立中央看護専門学校看護学科 入学 |
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1984年 | 名古屋市立大学病院看護婦 採用 |
1986年 | 国立名古屋病院附属看護助産学校助産婦科 入学 |
1999年 | 半田常滑看護専門学校 採用 |
2001年 | 大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻博士前期課程 入学 |
2003年 | 香川医科大学看護学科 採用 |
2004年 | 三重大学医学部看護学科 採用 |
2007年 | 大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻博士後期課程 入学 |
2010年 | 三重大学医学部看護学科 准教授 |
2015年6月 | 現職 |