VOICE~岐大医学部から~
退職教授からのメッセージ
医学部 看護学科
基礎看護学講座 生命機能学分野
教授 武藤 吉徳 先生
『VOICE-岐大医学部から-』第115回は、令和3年3月をもって退職される、医学部 看護学科 生命機能学分野 教授 武藤 吉徳 先生にお話を伺いました。
教員生活を振り返って
私は医学部生化学教室で大学院を修了後、昭和61年に医学部附属嫌気性菌実験施設で助手として採用されました。実験施設では薬剤耐性菌の研究が主流でしたので、私もその研究に加わりました。その後、岐阜大学に新設された医療技術短期大学部に、開設時メンバーとして移動しました。医療技術短期大学部は現在の医学部看護学科ですが、この看護学科で生化学や遺伝情報の教育・研究を30年間担当し、3月末で定年退職となります。
岐阜大学に来る前の学生時代は、理学系で生物学を専攻していました。私が学んだ40年以上も前は、生物学というのは今と比べて何かのんびりとした世界でした。友人の中には生物学を趣味・道楽の世界だと言う人もいたくらいです。そんなところから転じて医学部生化学教室の大学院に入り、研究のきびしさを教えられました。私は、研究の手法に惹かれるところがあり、今までにイオンチャネル電流の測定やFRET測定の研究などに関わることができたのは幸いでした。10年ほど前には、連合創薬医療情報研究科に参加し、自分が最後に辿り着いた研究手法であるバイオインフォマティクスの研究を進めることができました。
岐阜大学では、多様な専門分野の人々との交流から、教育・研究の幅を広げることができたように思います。また交流そのものが楽しくもありました。こうして教員生活を続けられたのも周囲の方々のご支援の結果であり、心より感謝いたします。
次世代へのメッセージ
奥の細道で知られる芭蕉は、俳諧の心得として「不易流行」という概念を説いています。不易は変わらないことであり、世の中が変化しても変わらない不変の真理のようなものです。また、流行は周囲の変化に応じて変わっていくものであり、新しさでもあります。「不易」という変わることのない真理を見いだし、そこに「流行」という新しく変化するものをとりこみ創りあげるということが、その意味するところと考えられます。両者はともに不可欠であり、これは研究や教育の世界でも通じる考えのように思います。
最近では、研究も教育も直ぐに役立つ成果を求められ、具体的な成果をイメージできないような研究は価値がないような風潮もあります。まるで、芭蕉の不易流行の流行のみを目指している感さえあります。今でこそ生物学はヒトゲノム解読やiPS細胞などとの関連で捉えることができますが、学生時代に学んだ生物学は学問的な価値はあったとしても、すぐに何かに役立つという類のものではありませんでした。こうした直ぐには役にたたず、何十年も無用かもしれないような学問や研究も、人類の将来をも左右する重要な成果につながる可能性があるように思います。研究や教育の本当の価値は、永々と流れる伏流水のように密かにその姿を顕してくるような気がします。私は、芭蕉のいう不易流行のような考え方は現代の教育・研究に対しても示唆に富むものであり、落ち着いて考えてみる価値が大いにあると思います。
略歴
専門は生化学、分子進化学、バイオインフォマティクス | |
---|---|
1979年 | 高知大学文理学部理学科卒業 |
1981年 | 愛媛大学大学院理学研究科修士課程修了 |
1985年 | 岐阜大学大学院医学研究科博士課程単位修得退学 |
日本学術振興会奨励研究員 | |
1986年 | 岐阜大学医学部附属嫌気性菌実験施設 助手 |
1992年 | 岐阜大学医療技術短期大学部 助教授 |
2000年 | 岐阜大学医学部看護学科 助教授 |
2005年 | 岐阜大学医学部看護学科 教授 |
2008年 | 放送大学客員教授(2013年3月まで) |
2011年 | 岐阜大学大学院連合創薬医療情報研究科 教授(兼任) |
2021年3月 | 退職 |