VOICE~岐大医学部から~
退職教授からのメッセージ
医学部附属地域医療医学センター
教授 村上 啓雄 先生
『VOICE-岐大医学部から-』第109回は、令和2年4月をもって退職された、医学部附属地域医療医学センター 教授 村上 啓雄 先生にお話を伺いました。
教員生活を振り返って
私は、1983年3月に岐阜大学医学部医学科を卒業後、岐阜大学医学部附属病院で研修医生活をスタートしました。その後は84年3月から2年5か月の国立療養所岐阜病院内科勤務を経験したのみで、後は86年8月から退職に至るまで、33年9か月連続して岐阜大学医学部・同附属病院に勤務しました。当初は消化器内視鏡専門医を目指していましたが、国立療養所での多数の結核や肺炎診療の経験、大学に戻ってからは劇症肝炎の研究・診療に携わり、96年頃からは当時MRSAによる院内感染が社会問題化した流れに吸い寄せられ、医療関連感染対策を最終的な専門とすることになりました。附属病院の感染制御チームICTの立ち上げ、県内各医療機関や自治体との連携に加え、任期後半は国公立大学附属病院感染対策協議会会長、厚生労働省院内感染対策サーベイランス運営会議など、わが国の感染対策の中心的役割を担うことができました。また昨年度まで10年間附属病院の副病院長を担当させていただき、とくにさまざまな患者安全の課題にメンバーと一緒に立ち向かった経験は、第2の人生にも大いに役立つことと思います。さらに2007年からは医学部附属地域医療医学センターで地域枠を中心とした岐阜県医学生修学資金受給者の指導・キャリア支援に携わり、医師不足の課題に貢献できたことは岐阜県人として光栄で、この3本柱の業務をこなしながら充実した大学生活を送ることができました。
次世代へのメッセージ
医療関連感染対策、患者安全、地域医療確保の3つとも、様々な職種、メンバーの支援なくしては遂行できない業務でした。とくに院内でのチーム医療はすべての職種が患者さんや家族に向き合い、それぞれの専門性を生かしてさまざまな提案をするのですが、医師は各職種の役割に敬意を払い、それらを総括するDirectorとしての役割が問われます。すなわちDoctorのDはDirectorのDでもあると思うようになりました。次世代の医師のみなさんには、患者さんのみならずすべてのスタッフの言葉に「傾聴」、「共感」しながらまとめ上げてゆく、バランス感覚を持ったコミュニケーション能力を身に付けてほしいと思います。また常に「おかげさま」、「感謝」の気持ちを忘れず、目の前の患者さんを何とか支援したいんだという情熱を忘れないようにしていただきたいと思います。そして関係者一丸となって人々の健康増進に邁進することができることが理想であり、そういうことが理解・実践できる人材が数多く育っていただけることを期待しています。 もう1点、自分自身は医師駆け出しの頃思い描いていた希望の専門領域とは結果的に全く異なったキャリアを積むことになりました。しかし、それらの仕事の依頼をいただいた際に今まで一度も拒否したり、不平不満を述べたりしたことはありません。すべてのことをチャンスととらえ、その仕事の質を上げるためにはどうすべきかのみ考えてきました。自分自身の思いと異なる機会を得た時、どうぞ真正面から向き合っていただければと思います。そのことが人生の運をつかむコツだと今は思っております。これらのメッセージがみなさんの参考になれば幸いです。
略歴
1983年3月 | 岐阜大学医学部 卒業 |
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5月 | 岐阜大学医学部附属病院 第1内科 入局 |
1984年3月 | 国立療養所岐阜病院内科 |
1986年8月 | 岐阜大学医学部附属病院第1内科 |
2007年4月 | 岐阜大学医学部附属病院 生体支援センター長 |
2007年5月 | 岐阜大学医学部附属 地域医療医学センター 教授 |
2010年4月 | 岐阜大学医学部附属病院 副病院長(感染・安全担当) |
2020年4月 | 退職 |
2020年5月 | ぎふ綜合健診センター 岐阜大学名誉教授 岐阜大学医学部附属 地域医療医学センター 特任教授 |
2020年6月 | ぎふ綜合健診センター所長・理事 |