VOICE~岐大医学部から~
退職教授からのメッセージ
医学系研究科 神経統御学講座
眼科学分野
教授 山本 哲也先生
『VOICE-岐大医学部から-』第101回は、令和2年3月をもって退職される、医学系研究科 神経統御学講座 眼科学分野 教授 山本 哲也先生にお話を伺いました。
教員生活を振り返って
私は1991年4月に岐阜大学に眼科講師として赴任し、その後2000年10月に教授に就任し、この度2020年3月末日をもって岐阜大学を退任いたします。丸29年間岐阜大学にお世話になりました。赴任前には約6年間山梨医科大学の講師を務めましたので、人生の過半を大学人として眼科学の教育、研究、臨床の在り方を考えながら過ごしたことになります。岐阜大学に赴任して以降は、専門分野の緑内障の研究と診療を世界的レベルに上げること、また、国際的にはGifu Universityの名を高め、国内では最高の緑内障診療施設を作ることを目標として行動してきました。さらに、学生教育においては次代の日本の医療の開拓者を育てることを目指しました。研究と臨床においては国内外で一定の評価をいただいたようで、アジアオセアニア地域の緑内障学術組織であるAsia-Pacific Glaucoma SocietyとAsia Angle Closure Glaucoma ClubのPresidentを歴任することができました。また、国内では日本緑内障学会の理事長(2014.4-2020.3)として、日本の緑内障研究を高め、また、緑内障臨床の方向性を示し、さらに、緑内障医療政策の根幹に関与することができたことは望外の幸せでした。こうした幸福をもたらしてくれたことに対して、岐阜大学に深謝申し上げますとともに、支えてくれた岐阜大学眼科教室員並びに家族に感謝いたします。
次世代へのメッセージ
私が医学教育を受けた時には、教授陣は次世代の日本の医療を作るのは君たちの仕事だという趣旨の発言をよくされました。私も教授として学生教育にあたるときにそのことを念頭としてきたつもりです。しかしながら、現実は非常に厳しく、新しい診療技術や新しい医学概念が今後国内から発信される事例は大幅に減少すると憂いています。第一の理由は、現在の医学教育が、均質なレベルの医療人を育てることを最大の目標としていて、研究の面白さを伝えたり、また、医師・研究者となったときに大切な医学英語を教育したりする時間的な余裕が学部教育の中で少なくなっていることです。加えて、卒業後も初期臨床研修などのために研究や国際的な活動に一定の制限がかかることも課題として挙げることができます。しかしながら、そうした困難な状況の中でも、私は若い世代の活躍を強く願っています。私が国際学会などで他の諸国の先生方と長くお付き合いしてきた経験からすると、日本人は英語力は劣っているとみられていますが、日本の研究に対する評価には極めて高いものがあります。それは、日本の経済・科学に対する敬意でもありますが、日本人が勤勉で何事もきちんとこなすということが大きく寄与しています。幸いにしてその日本人としての良き資質は若い世代にも受け継がれていますので、これからも日本発の新しい医療技術が頻出し、私の前述の文言が杞憂でしたと言えるようになることを強く期待しています。
The future is yours!
略歴
1979年 | 東京大学医学部 卒業 東京大学医学部眼科学教室 入局 |
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1983年 | 大宮赤十字病院眼科 |
1985年 | 山梨医科大学眼科 講師 |
1988年 | 文部省在外研究員 (米国ミシガン大学、1990年まで) |
1991年 | 岐阜大学医学部眼科 講師 |
1996年 | 岐阜大学医学部眼科 助教授 |
2000年 | 岐阜大学医学部眼科 教授 |
2004年 | 岐阜大学大学院医学系研究科眼科学分野 教授(組織改組により) |
2020年3月 | 退職 |
専門領域
緑内障の管理
学会役員等
日本緑内障学会理事長
日本眼科学会評議員(元理事)
日本眼薬理学会理事
Board member, Asia-Pacific Glaucoma Society
Active Member, Glaucoma Research Society