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研修医手記 part27                                   
takeda

羽島市民病院 研修医1 年目 竹田 具史

 研修医として初めて病棟で採血した時、ぎこちない手技にも関わらず「ドラマみたいですね。太い腕で刺しにくいかもしれないけど、何回でも刺していいですよ」笑いながら腕を差し出してくださる患者さん……冷や汗をかきながら注射したあの日から早くも7ヶ月が過ぎました。
 救急車で運ばれてきた患者さんを前に最初にすべきことは何か、何を問診すべきか、体のどの部分を診察すればいいのか、必要な検査は、治療は……など初めの頃は何をするにも自信が持てず試行錯誤し戸惑う日々でした。しかし、指導医の先生方・看護師さんをはじめ、多くの医療スタッフの方々から手厚い指導を受け徐々にですが自信をもって対応できることが増えてきました。
 初めて自分が担当した患者さんが元気になり退院された時、「お世話になりました。次回外来に来るとき、先生の顔を見に病棟に来ますよ」と言葉をかけてくださいました。また別の患者さんに「先生は真剣に話を聞いてくれて説明もしっかりしてくれる。悩んでいる友人を診てもらえませんか。」と言っていただいたこともあり、医師としての仕事が十分にできていない中でも、「病室に頻回に足を運び患者さんの話に耳を傾け診察をする」という姿勢が患者さんに伝わったのだと嬉しく思いました。
 しかし、先日ある難病を患う患者さんに治療方針についてインフォームド・コンセントをしていたときのことです。病気についての説明の途中で患者さんがふと涙を拭いている様子を伺い「はっ」としました。難病を患う患者さんであれば涙を流すことは当然であるにも関わらず、どこか客観的にその様子を見てしまい違和感を感じてしまいました。仮に患者さんが近親者であれば、より身近に主観的に患者さんのことを考えることができ、そのような感情を抱くことはなかったかもしれません。毎日数多くの患者さんを診ていることで、一人一人が異なった感情をもった一人の人間であるという事実が自分の中でいつの間にか薄れ、患者さんの気持ちに寄り添うどころか、距離ができていたのです。
サー・ウィリアム・オスラー先生の有名な言葉「大事なことは患者の持っている病気を診るのではなく,病気を持っている患者を診るのである」を思い出しました

 病は「突然」誰のもとにも訪れます。私自身大学3年生の時にある悪性疾患の疑いがある、と医師から宣告された経験があります。「悪性疾患」ではなく「悪性疾患の疑い」であるにも関わらず、健康であることが当たり前であった日常が、その日を境に180度変化し普段見ているはずの景色が何かフィルターでも通して見ているかのように、全く異なったもののように見えました。幸い入院、手術により私の病気は完治し、再び健康な体を取り戻すことができました。不思議なことに病気が治ってしまうと、あの時感じた絶望的な感情はすっかりと無くなってしまい、思い出そうと思っても具体的には思い出すことはできません。医師とて他人の痛みを本当のところまで知る術はありません。どれほど心を交わそうと試みようとも、病に苦しむ人と同じように感じることは不可能です。
 それでも私は、患者さんの痛みをわかろうとする努力を怠ってはいけないと改めて感じています。大病を得た経験を貴重な財産とし、「病気」だけでなく、しっかりと「人」を診られる医師になりたいと思います。そのために、病気、治療に関する知識や技術を身につけると同時に、医師としての人間性を養いたいと思います。

 研修医として現場に出て特に危機感を肌で感じるのは地域医療の現状です。私は地域医療を支える中核病院で研修をしているため、地域医療について考えさせられることが多々あります。在宅医療、施設などで体調が悪くなった患者さんが来院された時どこまで治療を希望されるか、急変時に人工呼吸器を付けるのか、退院後はどこで誰が面倒をみるのかなど高齢者に対する医療は治癒すれば完結するのではなく、治癒しないケースや治療を希望されないケース、家族によって対応はケースバイケースであり、最後どのような形で看取るのかというところまで考えなくてはいけないということ。医師などの医療スタッフだけでなく、ソーシャルワーカー、社会福祉士などと連携し対応するのですが、現状でも、病院は高齢者で溢れ、退院後の受け入れ先の調整に時間を要することが多々あります。これからますます高齢化が進む中で、医師としての役割が大きくなっていくのは必至であり初期研修終了後どのような道に進むにしろその責任の一旦をしっかりと担わなければならないと感じています。

 初期研修がスタートする前に、ある程度将来の医師像、方向性について自分の中で考えていました。しかし、実際臨床の現場に出て様々な科をローテートしていく中で全く異なった方向に対する興味や迷いが生じてきました。新臨床研修医制度以降の研修医にとって研修医の2年間はモラトリアム期間の延長とも言えます。新臨床研修医制度以前は臨床の現場で実際に働く前に道を決める必要がありましたが、現在は実際の現場の経験を元に選択することができます。選択する際の事前情報が増えたことでより適切に自分の進路を決定することができる一方で、選 択の難しさは変わってないようにも思えます。初期研修終了直前まで専攻する科、進路を決めかねている諸先輩方も多くいらっしゃるとよく耳にしますが、今のところ私もその一人になりそうです。
 指導医の先生から本当の真価が問われるのは3年目からとよく言われます。今は何か失敗したとしても指導医の先生がフォローしてくれますし、主治医となり患者さんを受け持つことはありません。しかし、3年目になると研修医を指導する立場になります。また主治医となり受け持ち患者に対する責任、すべての医療行為に対する責任が自分の肩に重くのしかかってきます。そのため、研修2年間を終えた時に研修医として身につけておかなければならない知識、技術、姿勢はもちろんのこと、一人の社会人、医師として確固たる自信を持って初期臨床研修2年間を終えられるように残りの3/4 の研修医生活を送りたいと思っています。まだまだ自分の不甲斐なさに落ち込むことも多く、人命を預かる責任の重さから本当に自分が医師になってよかったのかと自問自答することもありますが、医師として尊敬できる先生方、優しく指導し支えてくださる医療スタッフの方々、知識も技術も至らない私を励まして下さる患者さんのためにも早く一人前の医師となり医療に貢献したいと思います。


掲示者
岐阜大学医学部同窓会
事務局長 横山年光

岐阜市柳戸1番1
電話   058-230-6091
FAX  058-230-6092





研修医手記 part26                                   
傍島

安城更生病院 研修医1 年目 傍島 光昭

 長いようで短かった大学生活を終え研修医が始まってはや7ヶ月。仕事内容、知識面でわからないことが多すぎて覚えることに忙殺されるような毎日ですが、いつの間にか研修医生活も1/4過ぎてしまいました。できるようになったこともたくさんできました。でも一つ新しいことを覚えたりできるようになったことが増えるとまた新たな課題が見つかりそれをクリアしていく日々に正直終わりが見えない気もします。そんな中でも一歩一歩進んでいるということを信じてどうにかがんばれているのが現状です。

 私たちの病院では約1ヶ月単位で各診療科をローテートします。そのためその診療科の内容をつかめてきたという頃には残念ながら次の診療科に移らなければならないことも多々あります。学生時代のように「見学する」立場から変わって実際の患者さんの治療方針、社会背景まで含めて「治療する」立場になることによって言いしれぬプレッシャーを感じながら過ごす毎日です。

 卒業旅行から帰ってきて完全に抜けた気持ちで始まった4月1日からの研修医生活。楽しかった学生生活も終わってしまい、もう少し遊びたかったなぁという後悔の気持ちも少なからずあったわけで、ふんわりした感じで始まってしまいました。今私の研修している安城更生病院はモチベーションの高い若手医師がたくさんいる病院です。そんな人たちに囲まれながらの研修医生活。抜けがらのような感じで望むのは決して許されません。そんな私に少し転機になるような人との出会いがありました。今回はそのひと、言葉との出会いについて紹介したいとおもいます。

『えさをもらうのを待っていてはいけない。自分からもらいにいかないと食べられません。これからが勉強のスタートです』

 研修医生活が始まった4月1日、研修担当の先生からはじめにいわれたのを覚えています。医者になったのにやや人見知りである私にとって自分から求めて人に聞くのはなんかいやだなぁと思っていました。しかも国家試験合格のためにあんなに勉強した(つもり)なのにそれ以上の勉強をずっと続けていくなんてわかってはいたもののつらいなぁとも思っていました。しかし、実際に治療する立場に変わることによりその考えはすっかり変わりました。自分の責任で下手したら患者さんの人生が変わってしまうかもしれません。また、患者さんに聞かれて答えられなかったら信用を失うことになりかねません。知識を待っていたら必要なときに出てこないと大変です。今ほしい、これから必要になるであろう知識・技術は今にでもほしいと思って求めていかないといけないと思わされた瞬間でした。

『10年後胸を張って地元に帰ろう』

 同期にも私と同じ岐阜県出身者がいます。そんな彼と話していたときにいわれた言葉です。私は生まれも育ちも岐阜、さらには大学までも岐阜大学でしたが研修医では遠く離れた安城で研修しています。家の都合もあって将来的には岐阜に帰りたいという気持ちはあります。正直はじめの方は岐阜を離れ地元でもない安城の病院に就職してどことなく後ろめたいところもありました。岐阜に帰ったときに「岐阜でやっていればよかったのに」といわれるような気がするときもありました。でも今では彼と出会ってそのような後ろめたい気持ちはなくなりました。同期の彼と出会うことで今では「ここで学んだことすべてを将来、生まれ育った岐阜に還元しよう」という気持ちで研修に臨むことができるようになったような気がします。大学入学時「将来は生まれ育った岐阜に医療でお返しをしたい」と書いた大学1年生の時の文章をふと思い出させてくれました。将来の自分の進みたい進路を再確認することができた出会いだと今でも思っています。もちろん今でもその気持ちは変わっていません。

『何年かしたら名医になる日を夢見て痛いの我慢するよ』

 先日病棟で担当している患者さんに侵襲的な手技を行う機会がありました。何度か上級医がやっているところを見学させていただいたり、自分で本やインターネットの動画で調べたりしていつでもできるようにイメージトレーニングをしていました。とは言ってもそのときは初めて行う手技でかなり緊張していました。どうにか一緒にいた上級医の助けを借りてやりきることができましたが、お世辞にもうまくできたとはいえず、患者さんにはかなり苦痛を与えてしまったと思います。自分だったら「もうこんな医者には診てもらいたくない」と思うようなできでしたが、患者さんは最後にお礼の言葉と一緒にそんなことを言ってくれました。そう言ってくれる患者さんはそんなにいないと思います。でもそう思っている人がいる限り、私たち若い医者には多くの人から一人前になってもらいたいという願いがかけられているのだと感じるようになりました。それまで「何でこんなに勉強しないといけないんだ」と思いながら過ごしていたときもありましたが、その患者さんと出会うことで「早くもっと勉強しないと間に合わない」と思うようになったような気がします。

『日常の診療の中で疑問を持てるかが成功の鍵』

 これは私が安城に行くのを決めた先生、いわば私の目標としている先生から言われた言葉です。研修医の毎日は忙しいです。病院にもよりますが、基本的に私たちの病院では検査があれば早くに行ってすぐに検査ができるように準備をする。病棟では主治医より早くに病棟の受け持ちの患者さんを回診して、朝先生が来たら患者さんの状態、今後の治療方針についてディスカッションするのが基本です。そのため回っている診療科によっては朝6時台から病院に来て回診することなんて普通にあります。やっていることは何度かやれば自然と身につくことであり、覚えてしまいさえすれば頭なんて使う必要もありません。動作さえ覚えれば極端な話、仕事内容の大半はテレビに出ている猿でもできるでしょう。でもやっていること一つ一つには必ず意味があります。ローテートしている診療科のうち将来的に進むのは一つだけです。ただ単に「業務内容」だけを覚えるのなら研修が無駄になってしまいます。でも物事の考え方は共通のものがあります「なぜこの検査をするのか」「なぜこの治療が必要なのか」これを考えてこそはじめてやっていることの意味があるはずです。忙しい中ですが時間があるときに少しそうやって考えてみることを習慣づけるようにし、物事を考える癖をつけるようにしています。

 この7ヶ月という短い期間でしたが今までの大学生活とはひと味違った人との出会いがあったと思います。もしかしたら今までも同じようなことを何度かいわれていたかもしれません。学生から研修医へと立場が変わったことによって受け取り方も変わっただけなのかもしれません。これから先も新たな人との出会いがあると思います。それは同僚の医者かもしれませんし担当した患者さんかもしれません。今、診療科のことも含めて将来の進路について迷っているところがありますが、そのような人との出会いから見つけていけたらいいと思います。医者という職業に就いていますが出会いは同じ医者だけではなくコメディカルの方もいます。さらに言えば患者さんまでと出会いの場はかなり広いと思います。いろんな人から多くのことを吸収できるいい環境にいます。社会人としてはまだ若い立場にあります。そのような人一人一人との出会いを大切にして、多くのことを吸収し、自分の医者としての生活に役立てたいと考えています。とりあえず近況報告でした。


掲示者
岐阜大学医学部同窓会
事務局長 横山年光

岐阜市柳戸1番1
電話   058-230-6091
FAX  058-230-6092





研修医手記 part25                                   
渡辺充

研修医1年目 渡辺  充

 働き始めて早くも6 ヶ月が経過しました。研修が始まった当初は何をすればいいかも分からず、文字通り右往左往していましたが、少しずつ施設や人に慣れてきたように思えます。働き始めるまでは目の前にある国家試験の事が気掛かりで、頭の中にひたすら知識を詰め込む毎日でした。悪い言い方をすると「作業」に近かったかもしれません。それに疑問を持った事はあまりなく(というよりはその時間もなく)、それがいつか役に立つのだろうという漠然とした考えで学生生活を過ごしていました。幸いにも部活動は充実していましたし、よく遊び、そこそこ学んだ、いい大学生活だったなあ、と卒業が決まった3月は俯瞰していました。今思うと非常に滑稽ですが。私は中庸という言葉が好きだったので、これからも人にできるだけ迷惑をかけない範囲のそれなりの仕事をし、興味のある分野を専攻していければいい、そう思っていました。しかしこの6ヶ月で少しずつ考え方が変わりつつあります。
 長い前置きになりましたが、今回は研修医手記という折。現在の一研修医がどのような生活を行っているかを第一線で働く先生方に、これからの後輩達に少しでも伝えられれば幸いです。
 私が一番印象に残っているのはやはり働き始めの内科研修です。当院では初めの一か月はなるべく内科で指導医と一つ上の先輩研修医と共にチームを組みます。指導医に最初に言われた一言は「とにかく早く病院に来い」でした。学生時代チュートリアルの8時半に間に合うように起きるのさえ億劫であった自分には絶望的な言葉でした。では具体的に何時に起きればいいのだろうと思いつつ、6時半に病院に。先輩はもうラウンドを開始していました。若干凹みつつ、次の日からはそれより早起きし、先輩とラウンドしつつ、自分の持ち患者さんも増えていく日が続きました。こう過ごしてみると、この時間は看護士さんらの申し送りの前で院内も動きやすく、また前日からの患者さんの変化を一早く察知し、指導医と回診する前に疑問点や改善策を調べておけるという意味でもとても勉強しやすい、そう感じるようになりました。実際にこの時間から来て活動を始めている先輩医師も見受けられました。加えて、「とにかく自分で考えてプレゼンし、納得いくようなプランを立てろ、一人の患者に責任を持て」そう言われました。受け持った患者さんは数えるほどでしたが、熱発や疼痛など突然のアクシデントでも自分で立案するまでは手を差し伸べてはくれませんでした。「そんなんじゃ患者さん死ぬよ?」と言われ、泣きそうになりながら薬を考え、輸液を考え、診療を続けました。それでも急変時は自分がコールするとすぐに来て下さり、対応策を練りました。指導医は臨床に直結するエビデンスを大事にされる方でしたので海外文献に親しむことの重要さも教えて頂きました。初めの2か月のほんの短い期間でしたが現場での経験的な医療と文献でのエビデンスに基づく医療、それらをうまく組み合わせた医療の実践を行っていきたいと考えるきっかけを頂きました。
 実際の現場での医療は国家試験の問題の様な一問一答では答えの出ないものも多く、それ故迷うことも多いですが、患者さんが笑顔で退院される時の充実感はそれに勝ります。院内の先生方のプロブレムの立案や稀な症候、疾患へのアプローチの仕方に学び、その上で机上で考えたものを実践する場、それを正しい方向へ導いてもらえる場は研修医だからこそ許される環境だと思います。何か繋げるものがあるという意味で働き始めてからの勉強は非常に有意義で楽しいものに変わりました。
 前述したように卒業する前は、自分が興味のある分野だけを絞ってゆっくりと成長していけるならそれでいいと思っていました。しかし今は、内科医志望であっても実際には麻酔や救急、ICUなどの急性期の現場で学ぶことは多くあり、それら全ては必ずどこかで繋がっているのだと痛感しています。
 こうして働いてみると、学生のうちにこれを読んでおきたかった、あの実習をもっと真面目にやっていればよかった、と思うことも多々あります。全ては必要な場面が見えてからの後出しなのですが、どの場面でもとりあえず頭と手を動かすことは大事かと思います。何事もやっておいてきっと損はありません。よく学生のうちは沢山遊んでいればいいよーという先輩がどこにでもいると思いますが、あれはきっと半分嘘です。沢山遊んで、沢山学んで下さい。 そしてもう一つ、沢山恥をかいて下さい。これはすべてに通じることですが、後に残る記憶は必死になったり、冷や汗をかいたり、ドジを踏んだりした経験です。
 自分が目標としているのは常に100点の行動をとり続けることではなく、何をすべきなのかを常に自分なりに考える姿勢と、そして分からない事をその分野の専門家に積極的にコンサルトして学んでいく軽快なフットワークです。まだ達成できぬブループリントですが、一番はよりよい医療として患者さんに還元する為に、各科で切磋琢磨しつつ、日々学んでいければと思います。
 最後になりましたが、常日頃ご指導ご鞭撻頂いている先生方、沢山刺激を貰っている同期や先輩方の皆様に感謝しつつ、研修医手記とさせて頂きます。


研修医手記 part24                                   
林里奈

木沢記念病院 研修医1年目 林  里奈

 入職式前夜、ついに社会人としての新しい生活が始まるという期待と大きな不安を持って実家を出発しました。あれからもう7ヶ月が過ぎようとしているなんて、信じられないくらいあっという間に感じます。私たち研修医は、1〜2ヶ月ごとに科を回っていくため、やっと慣れたころにもう次の科へという感じで、日々いっぱいいっぱいですが、できないことが多いことを痛感し落ち込みながらも、できることが少しずつでも増えていくことに嬉しさを感 じ、毎日充実した研修生活を送っています。
 私は、「人と接して話して少しでも元気になってもらえるようになりたい」と思い、医学部を目指しました。ポリクリのときから、「できるだけ患者さんに会いに行ってお話しよう」と思ってきました。ポリクリで人生初めて担当させてもらった患者さんのことは今でも覚えており、その方から頂いた「いいお医者さんになってくれることでしょう。頑張って下さい」という手紙は、今でも大切に、いつでも見えるところに飾っています。
 研修医になって初めのころに担当させてもらったのはがんの末期の方でした。薬の処方や検査の出し方もわからず、その患者さんに対してできたことは、会いに行ってお話しすることくらいでした。そんな私にもその方は、自分が苦しい中、「先生が来ると元気になるわ」と微笑んでくれました。あの笑顔は今でも忘れられません。
 もちろん医師として薬を処方することも大切な仕事で、これからしっかりできるようになっていかなければならないことですが、初心忘れるべからず。どんなに忙しくなっても患者さんとお話する時間は大切にしていきたいと思います。
 「先生が○○をしたから、あの患者さんは助かった」
 今はまだできることが少なく、周りの足を引っ張っているのではと、落ち込むこともありました。そんな悩みを話した時に上級医の先生が励ましてくれた言葉です。もちろん私だけではなくみんなで全力で向かって患者さんは助かったのですが、その中で私がやったことも少しは患者さんのためになったと言っていただけて、「落ち込んでいるより、できることを少しずつでも増やせるようにしよう」と思えました。
 いつも厳しく指導されている先生からのお言葉、今後もそう思えることが少しでも増えるようにがんばろうと改めて思えた一言でした。
 私は木沢記念病院で研修しています。きっかけは病院見学でした。今まで見学に行ったどの病院より上の先生が熱心に教えて下さり、目標とする女医さんを見つけ、さらに研修医の先輩方がとても楽しそうに働いていたことで、「ここの病院で働きたい」と即決しました。いつも優柔不断な私が、こんなに早く重大な決定をしたのは、自分でも驚きましたが、今では、本当にこの病院を選んでよかったと心から思っています。
 先に回った科について教えあったり、当直中に出会った症例について話したり、自分がわからないことを聞けたり。また仕事で大変なことがあると慰めてもらったり、うれしかったことがあると一緒に喜んでくれたり、いつも身近にいてくれる同期がいます。
 いろいろなことをやらせてくれて、しっかり指導してくれる上級医の先生方や先輩。自分でやったほうが早いのに、いろいろ経験させてくれて優しく教えてくださる看護師さん。「わからないことがあったらいつでも聞いてください」と言って下さる技師さん、MEさん。本当に周りの人に恵まれていると感じます。
 「今が一番いろいろ教えてもらえる」とある先生がおっしゃったように、研修医1年目は一番、わからないことはなんでも聞いて教えていただける時です。そんな一番いい時期に、日々たくさんのことを学び吸収していきたいと思っています。
 こんな素晴らしい環境の中で研修できることを感謝し、今後の研修も頑張っていこうと思います。


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7ヶ月の研修生活を終えて                                   
高橋

岐阜大学医学部附属病院 初期研修医1 年目 高橋 かおり

 「将来の夢は医師になることです。」が、「志望科は産婦人科です。」となって早6年。この春からは、母校岐阜大学附属病院に初期研修医として帰ってきました。研修が始まり7ヶ月が過ぎようとしていますが、落ち込んだり泣いたり笑ったりの充実した毎日を過ごしています。

 先輩方のお話を聞かせていただくと、皆さん口を揃えて2年間は長いようで短いとおっしゃいます。実際私自身も11月の研修生活なんてまだまだ先のことだと思っていましたが、気づいてみればもう間近に迫っています。特に私たちの研修生活は、1〜2ヶ月ごとにそれぞれの科をローテーションするものですから、目の前の仕事を夢中にやっていたら○○科の研修は残り数日になっていた、なんてことも稀ではありません。先生方が当たり前のように出来ていることが出来るようになるには全く時間が足りないのも事実です。自信を持って○○が出来るようになった、という領域まではなかなか達する事が出来ないこのシステムで研修する中、自分を支えてくれている恩師の言葉があります。

『研修医時代は、球拾いをしなさい。』

 これは5年生の実習の時、ある先生がおっしゃった言葉です。研修医の間にホームランが打てるようにならなくていいんだ、まず自分に出来ることからコツコツ始めていこう、それがいつかきっと自分のためになるはず。その言葉のお陰でこう思える私がいます。今後も目まぐるしくローテーションする研修医生活となりますが、どこの球場に行っても、どこのポジションとなっても、まずはしっかり球を 拾えるよう鍛練してゆきたいと思います。

 この7ヶ月間、たくさんの患者さんを担当させていただきました。その中には、残念ながらお亡くなりになられた患者さんもいらっしゃいます。私は亡くなられた患者さんたちをお見送りする度に、現代の医学を以ってしても避けることが出来ない死というものを痛感しました。そんな中、患者さんを診ることで精一杯だった私に気づきを与えてくれた言葉があります。

『患者の家族もまた、もう一人の患者である。』

 その言葉は私にとって大変衝撃的でした。医師として、死を避けることが出来なくなった患者さんのことをどう癒すことができるのか、その答えを模索する中での出来事でした。確かにそれまでの私を振り返ると、御家族に十分な配慮が出来ていなかったように思います。突然癌のターミナルであることが判明した患者さんの御家族にICを行った翌日のことでした。急激に状態の悪くなった患者さんの横で、涙を流されている奥さんにどんな言葉をかければ良いのか分からず、当たり障りのない言葉しかかけることのできなかった自分がいました。虚しさが込み上げてきました。そんな中でこの言葉と出会 い、患者さん自身はもちろん、どうしたら御家族の支えとなることができるのか、そんな思いをもつようになりました。きっとこの答えをすぐに見つけることは出来ないと思います。けれど、死という人生最後の時を共に過ごさせていただく者として少しでも患者さんを癒すことのできる存在でありたいと願いますし、また残された御家族の方々の支えとなる存在でありたいと思います。私がこの先出会うであろう方々のお力となるためにも、この気持ちを忘れず毎日を過ごしてゆきたいと思います。

 この7ヶ月間、悩んだり落ち込んだり涙を流したりしたこともたくさんありました。医師に向いていないんじゃないかと思ったこともありました。けれど今は学生時代お世話になった方々、私を指導してくださる先生・コメディカルの方々、そして私の夢を応援し続けてくれた家族、みなさんのお陰でずっと夢見ていた仕事が出来ること、これ以上の幸せはないと感じています。私を支えてくださった方々 に感謝の気持ちを抱きながら、この時代にやりたい仕事が出来る喜びを忘れず、日々少しでも成長できるよう頑張ってゆきたいと思います。


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