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研修医手記

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岐阜市民病院 研修医1年目 幅 智教(part38)

kensyuui-38.jpg 「先生」と呼ばれるようになり早半年の月日が経過し、研修医の4分の1が終了したこととなります。矢の如く過ぎたこの6か月、自分は何ができるようになったのか、頼もしい2年目の先輩方に少しは近づけているのか、不安と焦りに苛まれている最中、研修医手記を寄稿する機会をいただきました。取り留めのない雑感となるとは思いますが、医師になってからの半年間を振り返らせていただきます。

 第一に実感したことは、己の知識・技術不足に尽きます。6年間の学生生活を終え、医師国家試験に合格し、ある程度の知識は身につけたものだと思っていました。しかし臨床の場で求められる知識は、試験とはまた違ったものであり、国試での知識は診療での大前提であったのだと痛感する毎日です。研修の中で、患者さんの治療方針や、輸液・抗生剤・食事、他科へのコンサルテーション等々、多くのことを自分で考える機会もいただくことも増えました。その際、患者さんの病態・病歴を正確に理解できているか、漏れなく鑑別のための検査をオーダーできるか、それぞれの治療法の利点・欠点は知っているか、使用する薬剤の量・投与経路・投与期間はどうか、退院先はどうするのか――、知識が至らない例を挙げ始めたら今回の手記が埋まる勢いであります。しかし、これらの質問を指導医の先生方に投げかけても、正確な答えが返ってきます。一人の患者さんですら、無数に疑問や悩みが出てくにも関わらず、何人もの患者さんを担当されている先生方には尊敬の念しかありません。先生方も時間をかけて学ばれたものだとは重々承知しておりますが、必要とされる知識量に愕然としたことは印象的です。

 技術の習得も日々の課題です。研修が始まり、胸水・腹水穿刺、CV 挿入、挿管などなど多くの手技の機会をいただいております。こうした手技により侵襲を与えることの責任というものは、学生の頃には実感がなく、働いてようやく学んだことです。自分の手技が合併症などの不利益を患者さんにもたらすのではないかという不安から、初めての手技を行うときは手も声も震えてしまいます。そのせいで患者さんを不安にさせてしまったことも少なくないでしょう。患者さんももちろん習熟した先生を希望されていると思いますが、そんな中で研修医の私に機会をいただいている以上、できる限りのことをしなければなりません。同じ患者さんに同様の手技を行わせていただく機会はそんなに多くはありませんが、次の患者さんではもっと上手くやることが、手技をさせていただいている上での責務なのだと感じています。

 こうした知識・技術を学ぶ中で、ふと、大学時代に言われた「Spoon-feedingの時期は終わった」という言葉を思い出します。「口を開ければ勝手に知識を運んでくれる状況はもう終わった。今後は自ら学ぶ姿勢が必要だ。」と入学初期に言われたことを覚えています。大学生でも試験があり、さらにその範囲は決まっていて、言われたことを学べば進級できる状況でありましたが、医師として責任が伴う今、学びたいこと・学ぶべきことは自ら探し、自ら学んでいく姿勢でなければ、瞬く間に無為に日々が過ぎていきます。明日やってくる患者さんについて、試験があり予習ができるわけでもありません。新規の治療法・治療薬も出現します。おそらく、医療において「十分な知識」というものは存在しないのだと思います。生涯学び続けるためにも、研修期間の内に自ら学ぶ態度・習慣も身につけられればと思います。

 知識・技術の不足は語り尽くせませんが、そうした能力の不足から、医師という仕事の恐怖もこの半年間で強く感じたことの一つです。

 当院の救急外来では研修医がファーストタッチし、入院か帰宅可能かを判断し、上級医にコンサルテーションを行います。全例コンサルテーションをさせていただく環境が整っており手厚い研修環境でありますが、「何か患者さんから聞き忘れていることはないか」「見逃してはいないか」「本当に帰っても大丈夫な疾患か」と不安は常についてまわります。実際に聞くべき病歴、取るべき所見が足りていないことは多々あり、画像所見を見逃して、後日に読影いただいて見つかった病変のために再来院いただくこともあります。医師として「大丈夫ですよ。」の一言を本当に言ってもいいのか、自分の言葉で患者さんの今後を左右するのではないか、命を預かる医療従事者の一言の重さも働いてようやく学んだことです。

 また、救急外来で命にかかわる場面にも多く遭遇します。心筋梗塞で搬送され致死性不整脈をきたし心停止に陥った症例、脳出血による脳幹圧迫で呼吸が停止した症例、高エネルギー外傷でショックバイタルでの到着となった症例など、初期対応が命に大きく左右する状況で、自分が冷静な判断と的確な対応ができているのかと問われれば、決して首を縦に振ることはできません。いつも先輩や指導医の先生、看護師の皆さんに助けられています。後遺症なく無事に退院された方もいれば、後遺症が残ってしまった方、残念ながらお亡くなりになった方もいらっしゃいます。「診たのが自分じゃなければ、もっと良い転帰となったのではないか」と思ってしまう自分がいます。患者さんを救いたいという思いをもって医師を志しましたが、実際に死に瀕する患者さんに自分が動かなければならない、逃げ場などない状況には恐怖を感じましたし、過去に聞いた「医療従事者の無知・無力は患者にとって罪だ」という言葉を思い出します。また、病棟でも終末期の患者さんに「もう代わって。つらいの代わってくれ。」「いつまで痛みが続くんだ。もう眠らせてくれ。」と訴えられ、どう声をかけるべきなのか分からず、立ちすくんでしまうこともあります。残念ながらそのまま亡くなられ、お看取りに立ち会わせていただきご遺族の方の悲哀を目の当たりにします。患者さんの人生に関わる身として、「もっと身体的にも精神的にも楽にさせてあげられたのではないか。ご家族への配慮は十分できたのか」と思わずにはいられません。反省や後悔が積もる中、「昨日の自分だったら救えなかった人を、今日は救えるように」という思いは、忙しいときには忘れがちにはなりますが、医師として患者さんの命や人生から逃げず、大切にしていければと思います。

 ここまで自分の反省点ばかりを書き連ねてしまいましたが、それでも医師としてやりがいを感じることは無数にあります。

 救急外来では病歴・所見から予想した鑑別疾患や検査所見が合致し、治療方針を考えスムーズにコンサルテーションできた時や、前回失敗した手技を成功させることができた時、また、病棟患者さんの追加検査を提案し採用されたときには自らの成長を素直に喜ぶことができます。

 また、担当させていただいた患者さんが回復される姿は何物にも代えがたい喜びです。低下していた意識レベルが改善し、初めて声を聞いたり、歩けるようになった姿を見た時の感動は、医師としてやりがいを感じる場面です。また血液疾患で移植を行い、副作用に苦しみながらも無事に生着を迎え、元気に歩いて自宅退院を迎えることができた患者さんに「個室だし副作用もあって寂しかったけれど、先生が来てくれたからね。頑張らないと、って思ったよ。」と言われた時には救われた気持ちにもなりました。実際に私が治療に携われた場面などは限られていますし、本当に頑張られたのは患者さん本人に違いありませんが、それでも医師になってよかったと思うエピソードでした。たった半年でも、多くの患者さんに関わらせていただきましたが、指導医の先生方からの「その患者さんはあなたが今日診る十何人の患者さんの一人かもしれないけれど、患者さんにとっては頼れる数少ない先生の一人なのだから、手は抜いてはいけないよ」というお言葉や、「治療で迷ったときは、自分の家族、友人などの大切な人を診ていると思いなさい。」という御指導は心に強く残っています。まだまだ知識は追い付かず、疾患や治療ばかりに目が向きがちな研修生活ですが、「病気を診るのではなく、人を診る」という原点に立ち返るための道標として、大切にしたい精神です。

 ここまで手記を書かかせていただきましたが、濃密な研修ができていたことに気づかされました。親身にご指導いただける指導医の方々、報告や助言いただける看護師さんはじめ、相談に乗っていただける薬剤師さん、技師さん、栄養士さん、研修プログラム等を調整いただいている事務の方々、本当に多くの人に支えられ、助けられているからこそだと思います。

 そして、研修生活を共にさせていただいている先輩方、同期は心のよりどころとなっています。先輩方には、「自分と同じ後悔をしてほしくないから」と親身にアドバイスをいただけたり、救急外来で悩んでいる時に豊富な知識で助けてくださったり、私生活のことですら相談に乗っていただけたりと、頼りっぱなしの毎日です。同期とは共に症例を検討し合い、切磋琢磨し、時には一緒に遊びに行ったり、悩みを打ち明けたりと、同期がいてくれて救われる場面は数えきれません。心から恵まれた環境で研修させていただいている自信があります。まだ皆さんに還元できるほどの成長はできていませんが、来年、再来年は頼るだけでなく、頼られる立場になることを自覚し、先輩方のような頼りがいのある先生となれるよう、研修に励みたいと思います。

 最後になりましたが、日頃よりご指導ご鞭撻賜る先生方、医療スタッフの皆様をはじめ応援いただいている皆様への感謝を申し上げ、研修医手記とさせていただきます。

令和3年1月1日


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