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研修医手記

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大垣市民病院 研修医1年目 大野 孝生(part34)

 大垣市民病院で研修を始めて、もう6ヵ月が経とうとしています。1つ1つできることが増えてきましたが、それ以上に医療の大きさや、自分がまだできないことが見つかる毎日であり、悩みが尽きることはありません。
 学生時代はラグビー部に属し、ラグビー、筋トレ、食事、飲み会に明け暮れた毎日でありました。きつい練習の毎日、仲間と同じ目標に進んで毎日努力し、楽しい日を過ごしていました。ご察しの通り、ほとんど勉強はせず筋肉を使ってばかりおりました。筋肉で凝り固まった、脳を少しずつ解凍しようとしています。本も働き出してから読むようになりました。

 私は大垣出身であり、自分の生まれ育った町、大垣に何か恩返しをしたいとおもい、また、過酷な環境でどれだけ自分がやっていけるのか、成長していけるのかを考え大垣市民病院を志望しました。自分の友達、また、友達の両親や、その親族、はたまた自分の親族や、その友達、どこかでこの患者さんは自分につながっていると考え、自分の親だったらこの診療をするのか? この検査を出すのか、と考えながら診療をしております。相当な覚悟で選んだ研修病院ではありましたが、やはり過酷ではありました。その中にも、自分の成長を感じる瞬間はあります。自分のふがいなさを感じ、周りのライバルがどんどん成長していく姿を感じると、一喜一憂する毎日であり、充実した毎日を過ごしています。

 GW明けから始まった救急外来での当直業務。国家試験で勉強してきた知識が、実臨床の場にでると、これほどまで太刀打ちできないものかと呆然としたことは今でも鮮明に覚えています。何を問診したらいいのか。身体診察は何をとったらよいのか。また、身体診察のすべてをするのではなく、たくさんの患者さんが来院され、限られた時間の中で当に必要な問診、身体診察を考えて診察する事の難しさを感じました。診断に必要な所見、致死的な疾患を除外するのに必要な所見を考えながら、診察していくことは本当に難しいことだと思いました。GWからはや半年がたちましたがまだまだ、できないことだらけ。
 当院の救急外来では研修医が1st touchできますが、逆に、自らの判断で、検査のオーダーができるという事は医療被曝や、造影剤の使用など、侵襲が大きい検査も自らの判断で施行されてしまいます。副作用のない薬などなく、点滴や処方などもまたしかりです。これは患者さんに本当に必要な検査なのか。もっと他のアプローチはないのか、処方はこれでいいのか?勉強の毎日であります。そんな何もできない私たちをフォローしつつ、自分たちの診察をてきぱきとこなされている2年目の先生方にはただただ尊敬とあこがれの気持ちでいっぱいであり、来年にはこうなりたい。なってやると思いながら一緒に当直をさせていただいております。

 当院は1か月ごとの全科ローテート方式であり、半年間で様々な患者さんの入院管理をさせていただき、その中から学ぶことも多くありました。加療目的に入院となった患者さんが、治療により、だんだんと良くなっていく姿、意識状態が悪かった患者さんが反応が出てくるようになった時には、感動はひとしおでありました。できるようになってきたことが増え、その治療に反応して、状態が良くなっていくことは純粋にうれしいことであります。

 そんな当院での研修をしていくにあたり感じることは、座学と臨床は全く異なるという事です。勉強したことが、臨床でできるとは限らないとすごく感じます。実際患者さんとかかわっていくのは臨床であり、継続的な勉強は必要と感じますが、患者さんに生かせるように、勉強していくべきであり、生かせなければ勉強していないことと同様であるとも感じます。臨床ばかりでも正確な知識の元に治療や診断を下しているのか不明なところはあり、実のところ、相互のバランスが大切と感じております。

 私と同じように、日々の診療に、不安や戸惑いを感じる同期も多いですが、研修医室でパソコンの前に集まっては、当直中の症例に関し、なぜこの検査を出したのか、画像をどう評価したのか、ベストの対応は何だったのかをよくお互いのカルテを見て検討しています。こうすることで、自分の知識の抜け穴やお互いの考え方の違いを知り、切磋琢磨しあえているのではないかと思います。
 つらいこと、責任を感じ押しつぶされそうになること多々ありますが、仲間の存在は大きいものがあります。当院は研修医20人と大規模な研修指定病院であり、みな一致団結して取り組んでおります。時には切磋琢磨し高めあい、時にはともに肩を組みながら飲み明かすこともあります。今年は岐阜大学が8人と異例の人数でありました。しかし、他の大学からも12人と岐阜大学に染まることなく、新しい風も感じながら過ごせております。きつい病院こそ同期は大切と感じますが、本当に同期には恵まれたと感じます。

 もちろんこの半年間はつらいことばかりではなく、うれしかったことや、やりがいを感じたこともたくさんあります。当たり前のことではありますが、採血やルート確保ができるようになったこと、失敗する回数が減ってきたこと。まだまだ自信をもってとはいきませんが、救急外来で病歴から疑った疾患があっていたり、鑑別で浮かぶ疾患が増えたりしたこと、エコーでわかる疾患が少し増えてきたこと。また、採血で評価する項目を本当に必要な採血か、この項目は必要なのかを意識できるようになっても来たと思います。
 すでに半年間の研修を終え、現在は、研修医生活が残り、4分の3しかないことに大変な焦りを感じております。膨大な数の患者さんが来院される年末年始の当直は乗り越えられるのか。来年入ってくる、後輩たちの面倒を自分たちが見れるようになるのか、後輩たちに教え、成長させることができるのか。様々の不安を感じています。今は研修医として面倒を見てもらっていますが、3年目以降は自分で判断し、行動せねばなりません。その判断が、患者さんの命を左右するかもしれません。その責任感を感じ、目標に、今行動し、体得できること、知識を蓄えていきたいと感じております。
 研修医になりたての4月、「君たちの勉強不足は患者さんの不利益になる」と上級医の先生から言われたことがありました。これまでの学生生活からとうとう研修医生活が始まり、学生とは違い責任のある研修医。その言葉の重さを痛感しているところであります。医師には継続的に勉強する姿勢が必要だ、と、学生時代にわかっていたつもりではありましたが、実際に働くことで責任の重さゆえのその言葉の本当の意味を少し理解できたかもしれません。

 この半年間、悩んだり、落ち込んだりすることは多々ありました。今後医師としてやっていけるのかと不安になったこともありました。このように文章を書く機会をいただき、再び医師という仕事について考えるいい機会をいただきましたが、患者さんを助けるという、原点に戻り、大きな責任はあるものの、この半年でもやりがいを大きく感じていたことに気づきました。1日1日は仕事に追われ精いっぱいでしたが、振り返ってみると素晴らしい半年でした。残りは1年半。長い医師人生から考えたら、たった2年ではありますが、今後を変える2年であると信じ、この残された期間も甘えることなく、努力していきたいと思います。

平成31年1月1日


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