クラス会報告
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29期生同窓会報告
昭和57年卒 29期生の同窓会が、令和8年2月22日に岐阜 十八楼で開催されました。直前の同窓会が2004年であった事から、まとまった同窓会の開催は諦めていたところ、昨年夏に、矢嶋君(岐阜市で小児科開業)から突然のメールが入り、22年ぶりの同窓会が開催されました。
参加者は、37名、同期の女性10名中6名が参加、沖縄からも2名が参加、所在不明もあったはずで、所在の再確認から始め名簿の再作成、メーリングリスト作成まで矢嶋君がいなければ、今後開催されなかったであろう同窓会が開催され、参加者全員が矢嶋君に感謝していました。メールやラインから何回も確認作業、開催場所の決定、参加費用の事前徴収まで、そして会計報告。この報告の最初に矢嶋君への感謝から書かなければと決めていました。心から有難う。結果、一人幹事で同窓会が矢嶋君の司会のもと進行されました。昼の12時から3時間、全員の近況報告も含め、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
同期は、入学時80名の定員であり、昭和51年入学、丁度、入学50周年でした。まだ共通1次試験前の2期校時代であり、岐阜県出身者が10名ほどで、愛知、関西出身者が多くを占める時代でした。入学の年は、台風で長良川決壊があった年です。市内の長良橋や忠節橋が通行止めになり、忠節橋は川の中、通学は前期のテストを控え困った事を覚えています(ラッキーにはならなかった?)。長良川堤防の内堤防と外堤防の間に住んでいた住民には避難命令が出ていたと思います。卒業までの留年者が記憶では2名と少ない学年で卒延もなかったと思います。卒業時は、約40名が岐阜大学の各医局に所属となりました。
37名の参加は多いことで優秀と思うとともに、同期への親しみが強い学年であったとも思っております。すでに、開業から閉院された仲間もおり、卒後44年は、いわゆる定年を過ぎているわけで、それでも勤務している同期も多くおられ、頑張ってきた近況報告がたくさんありました。
残念ながら鬼籍に入った同期は、8名になり、会の最初に黙禱を捧げました。瞬間、それぞれの思いを巡らせたことでしょう。つい1か月前に逝去された平井(旧制山口)素子さんの事が、それぞれのスピーチの中に出て来ました。この会を楽しみにしていたそうで残念です。僧籍に入った愛知忠明君には、へーと言う感じでしたが、終活を考える年になったわけです。
会の最中には、学生時代の写真がビデオアルバムになり上映されました。これも矢嶋君が作成してくれたものです。時代を感じる風景もあり、楽しそうで、懐かしくて泣いてしまいました。医学部の6年間は短くともすごく濃い時間であった事を感じます。
集合写真が撮影され、次回の幹事が加藤元久君、村川眞司君と決まり、2年後開催と決まって、名残惜しいと思いつつ会が散会となりました。二次会は、夕方から10名ほどで開催されましたが、昼の同窓会も年を考え、その後の動きを考えると良いものでした。
参加者は、下記のとおりです。健康であることを祈念してまた会いましょう。
2026年3月14日 文責 熊谷守雄

岐阜大学医学部29期生同窓会 令和8年2月22日 於 十八楼
後列(左から) 橋本、西田(育)、加川、大野、赤松、小山田、大川、今井、山田(幸)、山羽、村川(真)、佐橋
中列 岩村、杉浦、柿原、梶浦、笠松、中島(利)、下澤、玉田、原、高橋、愛知、山守
前列 稲田、加藤、熊谷、出口、曽根、矢嶋、浅野、坂、大川、阿河、李、吉見、山田(猛)
