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クラス会報告

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22期生クラス会報告

 22期生評議員の寺倉俊勝君によると、クラス会開催に当たっての「岐大医22期生」とは、"入学時(昭和44年(1969))あるいは卒業時(昭和50年(1975))が同じだった方すべてを同じクラスメートと考えて連絡しあっており、「拡大22期生」とでも呼んだほうが良いような同級生"と定義されている。

 年賀状を利用した寺倉君の長年蓄積された名簿管理システムによって拡大22期生クラスメート74名(物故者含む)の連絡先は常に最新のものに更新されている。そのかいあって現役組が還暦を迎えた2010年から2019年までは10年連続で開催されてきたが,コロナ禍にあって2020年以降の開催は残念ながら中止を余儀なくされた。そのCOVID-19も5類となってようやく今年5年ぶりの開催にこぎつけることとなった。

 すなわち11月16日(土)にいつものグランヴェール岐山を会場としたが、これまでの会の反省も踏まえて、遠方から早く来岐している仲間のことを考慮して,会館側に無理を言って19時からの正式な開会時間を17時から会場が使えるように交渉した(寺倉君の力量です)。このことが功を奏してか、17時スタートから徐々に集まって一時間たったころには参加予定人数近くにも達し、チャーム程度の大したつまみもない中でとにかくしゃべることしゃべること。最後にやってきた今井秀治君は、正式な開会時間より5分も早く来たにも関わらず,何だか遅刻者扱い!しかしこの"五月雨式な集合開会"スタイルは皆にも好評のようで、今後の会の在り方として定着しそう(寺倉君の考案)。

 ようやく正式な開会時間の19時になったので、まず3名の物故者(岡野幸雄君(令和2年)、米沢学君(令和4年)、松井寛雄君(令和5年))に対する黙とうを行ったのちに開会スタートした。今年の参加者は26名で、最近ではこれまでで一番の大人数であったが、女性陣の参加者がゼロというのも今年の特徴か(理由は不明)。

 一番遠く(熊本県)から参加の値賀正章君による乾杯の音頭ののちに大体食べ物が行き渡ったころを見計らって、参加者26名の近況を名簿順に話していただくことにした。紙面の関係上個々人の近況の詳細は割愛するが、卒後50年もたった臨床医の現状は大体次の3パターンに分類することができるようである。すなわち①医療業務の禅譲(血縁・非血縁に関わらず)、②閉院による医療業務の終了(→自由の身)、③生涯現役続行中。なかでも特に印象的だったのは木下治君の場合:そろそろ息子に禅譲しながら自身は診療枠を縮小して自由の身になろうかと考えていた矢先に、診療中に倒れて救急搬送即入院加療。その後順調に回復していく中で、同君の復帰をひたすら待ち望んでいる多くの患者さんたちの存在を知ったときにこれまでの考えを改めて生涯現役でいくことを決心したという経緯。こういうことが医者冥利に尽きるということなのかなあ(私は臨床医ではないので体験はできない)。いずれにしても卒後50年もたてば皆さん何らかの病気の一つや二つを経験しながら元気に今日この日を迎えていることが肌で感じられた(集合写真でのそれぞれの笑顔がそれらのことを物語っているようである)。

 参加者全員の近況報告も終わったが、まだまだ積もる話も尽きないうちに21時30分になり,全員一致でまた来年も開催することを決めて一次会をお開きとした(実に延々4時間半もしゃべりっぱなし!)。引き続き会場を11階のスカイラウンジ・エスぺラートに移して18名が参加歓談した。明日はゴルフということで二次会も22時30分にお開きとなった(皆さんよゐこですね)。

(文責:恵良聖一)

 

 今年のクラス会のコンペの参加者は元来11人の予定だった。しかし色々な都合にて結局は3人抜けて、8人という少ない人数での開催であった。参加者は東、桂、白木、錫村、瀬古、寺倉、服部、星野(敬称略)の強者揃い(^o^)である。

 コースは関ヶ原カントリーでスタートは11月17日(日)8時37分と早く参加者には迷惑だったと反省した。天気は雨が90%の予報であったが実際は晴れ時々曇りと風もなく絶好のコンディションだった。今年は全体に非常に暑かったため近隣では荒れたコースが多い中、グリーンも速く綺麗なメンテナンスをされており参加の諸君も満足な様子で幹事としても苦労のしがいがあった。

結果は本命の呼び声が高かった星野君が優勝した。スコアは省略するが(^o^;)立派な盾を獲得した。おめでとうございました。 

(文責:寺倉俊勝)


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