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泌尿器科学会教室の歩み

泌尿器科学の歴史の特異な点に、当初、泌尿器科学と皮膚科学が1つの皮膚泌尿器科学として講座がもたれていたことがあげられます。 これは、本邦に泌尿器科学を導入したのが皮膚科学者土肥慶蔵氏であったためで、 昭和20年以降になり、ようやく全国の大学で泌尿器科学講座が分離独立するという 経緯を辿ってきました。  

昭和27年4月、本学の前身である岐阜県立医科大学でも、当初は皮膚科 泌尿器科学講座が設立され、伊藤賀祐教授が着任しました。泌尿器科学講座として独立するのは昭和29年4月で、初代教授として近藤 厚教授が着任しました。 これに伴い教室員の専攻もそれぞれに分離し、名実ともに泌尿器科学講座として独立しました。  

昭和36年3月、近藤教授が長崎大学に転任し、7月に後藤 薫教授が 第2代教授として着任しました。この間に泌尿器科専用のレントゲン装置、 血液透析装置など先進的な技術・設備が導入されました。 後藤教授の退職の後、昭和43年9月、第3代教授として西浦常雄教授が着任しました。 この時期より、教室員の数が増加し、関連病院も岐阜県のみならず、近隣県に 次々と広がっていきました。研究面でも尿路性器感染症および尿路性器悪性腫瘍の 研究を中心に精力的に行われるようになり、教室員のアメリカとイギリスへの留学も 始まりました。昭和58年4月、河田助教授、清水講師が新設された福井医科大学 泌尿器科の教授、助教授として転出しました。  

昭和62年6月、河田幸道教授が福井医科大学教授より当講座の第4代教授として 着任しました。臨床面では内視鏡下手術の導入、QOLを重視した手術法などの先進的な 診療の試み、研究面では従来の研究テーマを発展させ、遺伝子解析を含めた 分子生物学的な手法による研究の試みが行われ始めました。  

平成10年8月、第5代教授に出口 隆教授が就任として着任しました。臨床面では内視鏡手術を岐阜県ならびに関連施設で標準化し、安全で低侵襲な手術を提供しました。また、腎移植医療の普及に取り組み、年間20例近くの腎移植を施行するようになりました。研究面では、男子性感染症の分野で起炎菌の探索、淋菌やMyocplasma genitalium の薬剤耐性の疫学および薬剤耐性機序の解明などに関する研究を行い、国際的に高い評価を受けました。

平成30年7月、第6代教授に古家 琢也教授が就任し、今日に至っています。 現在、当教室は岐阜県内、愛知県に20以上の関連病院を持つまでに 発展し、新しい体制による教室運営のもとに、当講座の伝統を継承しつつ、臨床および 研究における泌尿器科学のさらなる発展をと教室員一同、日夜努力を続けています。