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岐阜県総合医療センター 研修医1年目 二宮 彩恵莉(part32)

kensyuui-32.jpg 気が付けば研修医生活が始まって半年が過ぎていました。つい先日には来年度のマッチング発表もあり、あれから1年経ったのかと、時の速さに驚かされます。
 ちょうど1年前、私たちは卒業試験の真っ最中でした。週に2回の試験に追われ、発表当日も試験終了後に同級生たちと確認し合った記憶があります。研修医になるまでに突破しなければならないハードルを一つ終え、とりあえず一安心でした。その後、なんとか卒業も確定でき、残すは本番、国家試験。普段同じ勉強部屋で勉強していたメンバーとはお互いにクイズを出し合ったり、質問しあったりして日々を過ごしました。毎日朝早くから、夜中まで同じ空間で勉強し、食事を一緒にし、時には息抜きにスポーツしたり、みんなで外食に行ったりと辛いけど楽しい時間でした。もう二度とあんな勉強はしたくないですが…。グループの中でも下層に位置していた私は、彼らのおかげで合格できたと思っています。合格できたから言えることですが、実際卒業旅行中も速報ボーダーと自己採点を見比べる日々で、正直気が気でない1か月でした。合格発表当日、14時には実家のリビングで一人、iPadの画面を見つめていました。心拍数は優に100超えで、恐る恐る見た画面の中に自分の番号を見つけた時は、一人部屋で泣きました。母親にまずは報告し、病院、友人など支えてくれた人たちによい報告をすることができました。しかし、私たちの学年は残念ながら、大学にとっては不名誉な学年となってしまいました。きっと、一緒に働きだすことができなかった同級生や後輩たちが今年は挽回してくれると信じています。
 6年間という長い学生生活を終えて、ついに私たちも社会の仲間入りをしました。入職してしばらくはオリエンテーションが続き、社会人という感覚はあいまいなままでした。また、合わせてインフルエンザ騒動が院内で起こったために通常の業務が始まったのは4月下旬からであり、あっという間に社会人初めての4月は過ぎ去っていきました。最後の病院実習から10か月は経過しており、まずは病院という環境に慣れるところから始まりました。病院の構造や、カルテの使い方、先生の名前などを把握するころにはゴールデンウィークになっていました。ゴールデンウィークを終えると待っているのが、救急外来当直です。研修医のメインの仕事といっても過言ではありません。私の病院では、必ず研修医1年目、2年目がペアになり当直を行うシステムとなっております。年齢の近い先輩が常にいてくれるというのはとても心強いです。救急車は基本的には2年目が対応するため、私たちはwalk inで来られる患者さんの対応を行います。そんな救急外来の場は“初めて”のオンパレードでした。救急といえばドラマのイメージが強かったために、あのようなことが自分にもできるのだろうか、という不安、オーダーの仕方も、物品の場所もわからないという不安、まず知識もない、と不安だらけでした。国試からほとんど使われていなかった脳に知識を詰め込みなおすのは限界があり、聴診器とやる気をもって初当直に挑みました。関係あるのかないのかもわからないまま、OSCEの医療面接のように、とにかくがむしゃらに1から10まで問診を行っていた記憶があります。精一杯の情報をもってペアの先生に相談しにいくと、次の検査や内服薬を一緒に考えてくれました。手が空いているときには診察室の陰で私の問診を見守っていてくれました。その間にも、救急車の対応をさらっとこなし、気が付けば私が対応した患者さんを帰宅させてくれていました。当直終わりにはコンビニに行き、「お疲れ様」と朝ご飯のプレゼントがありました。慣れない1年目とペアで、2年目の先生も不安が大きかったことでしょう。助けてもらった感謝、力になれていないという不甲斐なさ、早く追いつきたいという目標、いろいろなことを感じた一夜でした。半年経ち、主訴からある程度鑑別を思い浮かべ、的を絞った問診が以前よりはできるようになりました。心電図の電極を付けるのも早くなりました。大腿からの動脈血採血ができるようになりました。一人で上眼瞼の縫合と格闘したこともあります。明け方は辛いですが、少ない睡眠時間にも慣れました。薬剤名も徐々に覚え、2年目に相談しなくても処方できることも増えてきました。振り返れば、少しは成長できたかなと思います。毎回、学ぶものが多く、反省点も多く、知識だけでなく経験も大事だなと実感しています。今後は、あまり経験できていない救急車の対応も学んでいかなければと思っています。

 当院の研修医ローテートはメジャー科、マイナー科が前期後期でまとまっており、私はこの半年間、メジャー科を研修してきました。病棟の患者さんを指導医とともに担当させていただきます。初めは何を話したらいいかもわからず、お変わりないですか?と一言、二言話すのみでした。毎日病室に通っているうちに、患者さんからもお話してくれるようになりました。心配なこと、自分の身の上話、今日のご飯のこと…なかなかお話が途切れず、気が付けば病室に30分以上滞在していたこともあります。忙しいとないがしろにしてしまいがちなことではありますが、直接患者さんと接することは一番大切なことなのでは、と思います。特に、研修医という立場で、治療方針などまだわからないことが多い中、一人で簡単にできるのが患者との会話です。主治医には話せないことを、私には話してくれるということもあります。医師らしいことは何もできておらず、これでいいのか、と思うこともありましたが、部屋を出るときに、ありがとう、と笑顔で言われると、これも大事な仕事だなと思えました。
 もちろん、直接治療や手技にかかわることもあります。特に最近でうれしかったのは、“執刀医”をやらせていただいたことです。外科のローテーションでは手術に入り、カメラ持ちや閉創の助手などを務めます。その中で、一定回数の件数を経験すると、ヘルニアの執刀をやることができます。指導医にほとんど手助けしてもらいながらではありましたが、メスを入れるところから閉創まで、執刀医として経験することができました。今後、外科系に進まなければもう経験できないことだし、やはり、“医者らしい”ことができるのはうれしいことです。
 普段の生活において欠かせないのは、同期の存在です。岐阜大学出身者や、岐阜出身者がほとんどのため、マッチング発表後、すぐにLINEのグループが作成されました。入職までに、2回の飲み会を行っており、すでに和気藹々となった中で始まったので、同期に対する不安は全くありませんでした。初出勤日には前日が誕生日であった子の誕生日会を全員参加で行いました。それ以来、誕生日会、プレゼント贈呈は定番行事となっています。春にはお花見に行き、夏には花火やプールに行きました。研修医室に帰ってこれば、誰かがご飯に行こうと言い出し、自然と集まったメンバーで食事に出かけます。女子会も毎月のようにやっています。当直業務があるため、なかなか全員がそろうことは少なくなりましたが、この半年でたくさんの思い出ができました。もちろん、お互いの会話からは学ぶことも多く、一番相談しやすい存在です。救急外来などでは、2年目にコンサルトする前に、まずは同期に相談することも増えてきました。本当に良い同期に恵まれたと思っており、仕事ではもちろん、プライベートも一緒に過ごせる大切な仲間たちです。
 半年経ち、忘れかけていましたが、必死の思いで手にした医師免許でした。高校のころ、あこがれて観ていたコードブルーを同じ立場で観られるようになりました。まだまだ、周りの人たちに助けられ、支えられてばかりですが、日々成長していかなければと感じています。あの頃の私に恥ずかしくないように、今まで支えてきてくれた家族や周囲の人に感謝の気持ちも込めて、そしてもちろん、患者さんの笑顔のために、初心を忘れず頑張っていきたいと思います。

平成30年1月1日


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