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研修医手記

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羽島市民病院 研修医1年目 竹田 具史(part27)

takeda-01.jpg 研修医として初めて病棟で採血した時、ぎこちない手技にも関わらず「ドラマみたいですね。太い腕で刺しにくいかもしれないけど、何回でも刺していいですよ」笑いながら腕を差し出してくださる患者さん......冷や汗をかきながら注射したあの日から早くも7ヶ月が過ぎました。
 救急車で運ばれてきた患者さんを前に最初にすべきことは何か、何を問診すべきか、体のどの部分を診察すればいいのか、必要な検査は、治療は......など初めの頃は何をするにも自信が持てず試行錯誤し戸惑う日々でした。しかし、指導医の先生方・看護師さんをはじめ、多くの医療スタッフの方々から 手厚い指導を受け徐々にですが自信をもって対応できることが増えてきました。
 初めて自分が担当した患者さんが元気になり退院された時、「お世話になりました。次回外来に来るとき、先生の顔を見に病棟に来ますよ」と言葉をかけてくださいました。また別の患者さんに「先生は真剣に話を聞いてくれて説明もしっかりしてくれる。悩んでいる友人を診てもらえませんか。」と言っていただいたこともあり、医師としての仕事が十分にできていない中でも、「病室に頻回に足を運び患者さんの話に耳を傾け診察をする」という姿勢が患者さん に伝わったのだと嬉しく思いました。
 しかし、先日ある難病を患う患者さんに治療方針についてインフォームド・コンセントをしていたときのことです。病気についての説明の途中で患者さんがふと涙を拭いている様子を伺い「はっ」としました。難病を患う患者さんであれば涙を流すことは当然であるにも関わらず、どこか客観的にその様子を見てしまい違和感を感じてしまいました。仮に患者さんが近親者であれば、より身近に主観的に患者さんのことを考えることができ、そのような感情を抱くことはなかったかもしれません。毎日数多くの患者さんを診ていることで、一人一人が異なった感情をもった一人の人間であるという事実が自分の中でいつの間にか薄れ、患者さんの気持ちに寄り添うどころか、距離ができていたのです。
サー・ウィリアム・オスラー先生の有名な言葉「大事なことは患者の持っている病気を診るのではなく,病気を持っている患者を診るのである」を思い出しました

 病は「突然」誰のもとにも訪れます。私自身大学3年生の時にある悪性疾患の疑いがある、と医師から宣告された経験があります。「悪性疾患」で はなく「悪性疾患の疑い」であるにも関わらず、健康であることが当たり前であった日常が、その日を境に180度変化し普段見ているはずの景色が何かフィルターでも通して見ているかのように、全く異なったもののように見えました。幸い入院、手術により私の病気は完治し、再び健康な体を取り戻すことができました。不思議なことに病気が治ってしまうと、あの時感じた絶望的な感情はすっかりと無くなってしまい、思い出そうと思っても具体的には思い出すことはできません。医師とて他人の痛みを本当のところまで知る術はありません。どれほど心を交わそうと試みようとも、病に苦しむ人と同じように感じることは不可能です。
 それでも私は、患者さんの痛みをわかろうとする努力を怠ってはいけないと改めて感じています。大病を得た経験を貴重な財産とし、「病気」だ けでなく、しっかりと「人」を診られる医師になりたいと思います。そのために、病気、治療に関する知識や技術を身につけると同時に、医師としての人間性を養いたいと思います。

 研修医として現場に出て特に危機感を肌で感じるのは地域医療の現状です。私は地域医療を支える中核病院で研修をしているため、地域医療について考えさせられることが多々あります。在宅医療、施設などで体調が悪くなった患者さんが来院された時どこまで治療を希望されるか、急変時に人工呼吸器を付けるのか、退院後はどこで誰が面倒をみるのかなど高齢者に対する医療は治癒すれば完結するのではなく、治癒しないケースや治療を希望されないケース、家族によって対応はケースバイケースであり、最後どのような形で看取るのかというところまで考えなくてはいけないということ。医師などの医療スタッフだけでなく、ソーシャルワーカー、社会福祉士などと連携し対応するのですが、現状でも、病院は高齢者で溢れ、退院後の受け入れ先の調整に時間を要することが多々あります。これからますます高齢化が進む中で、医師としての役割が大きくなっていくのは必至であり初期研修終了後どのような道に進むにしろその責任の一旦をしっかりと担わなければならないと感じています。

 初期研修がスタートする前に、ある程度将来の医師像、方向性について自分の中で考えていました。しかし、実際臨床の現場に出て様々な科をローテートしていく中で全く異なった方向に対する興味や迷いが生じてきました。新臨床研修医制度以降の研修医にとって研修医の2年間はモラトリアム期間の延長とも言えます。新臨床研修医制度以前は臨床の現場で実際に働く前に道を決める必要がありましたが、現在は実際の現場の経験を元に選択することができます。 選択する際の事前情報が増えたことでより適切に自分の進路を決定することができる一方で、選択の難しさは変わってないようにも思えます。初期研修終了直前まで専攻する科、進路を決めかねている諸先輩方も多くいらっしゃるとよく耳にしますが、今のところ私もその一人になりそうです。
 指導医の先生から本当の真価が問われるのは3年目からとよく言われます。今は何か失敗したとしても指導医の先生がフォローしてくれますし、 主治医となり患者さんを受け持つことはありません。しかし、3年目になると研修医を指導する立場になります。また主治医となり受け持ち患者に対する責任、 すべての医療行為に対する責任が自分の肩に重くのしかかってきます。そのため、研修2年間を終えた時に研修医として身につけておかなければならない知識、技術、姿勢はもちろんのこと、一人の社会人、医師として確固たる自信を持って初期臨床研修2年間を終えられるように残りの3/4の研修医生活を送りたいと思っています。まだまだ自分の不甲斐なさに落ち込むことも多く、人命を預かる責任の重さから本当に自分が医師になってよかったの かと自問自答することもありますが、医師として尊敬できる先生方、優しく指導し支えてくださる医療スタッフの方々、知識も技術も至らない私を励まして下さ る患者さんのためにも早く一人前の医師となり医療に貢献したいと思います。

平成27年1月1日

掲示者

岐阜大学医学部同窓会
事務局長 横山年光

岐阜市柳戸1番1
電話 058-230-6091
FAX 058-230-6092


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