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研修医手記

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岐阜市民病院 研修医1年目 傍島 有美(part29)

29sobashima.jpg 『先生』。そう呼ばれ始めた日から、とうとう半年という月日が流れてしまいました。手記を書くにあたり、改めて振り返ってみると、失敗を繰り返しながら少しずつ前に進んできた毎日であったと思います。

 初めての救急外来では、まず患者数の多さに圧倒されました。次々に来る患者さんに対して、的確に問診し所見をとり、方針を決めて進んでいく2年目の先輩の姿を見て、あこがれを抱いたと同時に自分の未熟さを強く思い知らされました。問診を一つ取るにも、診察室から患者さんが出た後で、「あれも聞くべきだった、この所見を取り忘れた」と慌ててもう一度聞きに行くこともありました。また、救急車が来たときには、何から始めれば良いのかわからず立ち尽くしてしまうこともありました。国家試験に合格しただけでは、必要な問診力、診察力、手技、そして判断力が圧倒的に不足していることを痛感しました。そんな戸惑いを抱きながらも、先輩方や指導医の先生、スタッフの皆さんの助けでなんとか一日一日の当直を終えることができました。
 同じように戸惑う同期も多く、パソコンの前に集まっては救急外来のカルテを開いてお互いの疑問を投げあいました。「どうしてこの方針にしたのか」、「画像のどこに問題点があるのか」、「もっとやれるべきことはあったのか」、実際の症例を互いに検討することで「次はこれに気をつけて診察をしよう」「この可能性も考えてみよう」と切磋琢磨し合うことができました。このような同期に恵まれたことも私の成長の一助になったと思います。

 また、入院されている受け持ち患者さんからもたくさんのことを学ばせていただきました。病室に足を運び、話を聞いて診察をしていると、「そういえば昨日からおかしい感じがする」と話していただけたり、いつもと様子が違うことから急いで指導医の先生と相談して検査をしたり、処方をかえたりと、自分の担当医としての責任と同時にやりがいを感じました。笑顔で退院していく患者さんとそのご家族に、「お世話になりました。担当が先生で良かったです。」と言われ、未熟な私を医師として信頼してくれたことを非常にうれしく思いました。

 しかしもちろん、元気で退院していく人ばかりではありません。働き始めてまだ1ヶ月と経っていない頃、私は受け持ち患者さんの御臨終の場に立ち会いました。前日に指導医の先生とインフォームド・コンセントをしたばかりの方でした。
 インフォームド・コンセントの時点では、ご家族も納得され、覚悟もできている様子でしたが、次の日の夕方、病棟で急変され、指導医の先生と病室に駆けつけました。話し合ったとおり救命措置は行わず、指導医の先生から死亡宣告が行われました。深く頭を下げるとご家族のすすり泣く声が聞こえてきました。私はそのとき、一人一人の患者さんに、今まで生きてきた人生があり、ご家族や関わってきた方々がいるのだということを改めて感じ、はっとしました。どれだけ何度も話し合って出した方針であったとしても、覚悟ができていたとしても、別れの場はつらく、悲しいものです。そしてその場を目の当たりにして感じた、『救えなかった』という悔しさを、これからも決して忘れてはいけないと思いました。

 『最期をどのように迎えるか』という問題は、入院されている方だけでなく、救急外来でもよく遭遇する問題です。在宅医療をされている方や、施設入所されている方が急変されて来院されることもあります。救急搬送ではご本人やご家族がどこまでの治療を望まれているのかを確認することが難しい現状もあります。その場でできる限りの治療を行い、ご家族を待って相談するのが現状ではありますが、はじめから積極的な治療を望んでいない患者さんであることが早く知ることができたならば、静かに看取ることもできたのではと振り返ることもあります。
 また、入院患者さんの今後について相談する場も多く経験させていただきました。リハビリのできる病院に転院とするのか、自宅で面倒を見てもらえる人がいるのか、自宅は介護が可能な住宅であるのか。地域連携部の方や病棟の看護師さん、内服薬の管理をしていただく薬剤師の方や実際にリハビリを担当している理学療法士、作業療法士の方など多くの人を交えてカンファレンスを開き、いろいろな方向からの意見を交わすことで、自分一人では気づかなかったことに気づくことができました。
 患者さんを診察し、データと向き合う毎日の中で、どうしてもその人の病気のことばかりに目を向けてしまっている自分がいることに気がつきました。もちろん医師として患者さんの状態を把握し、方針を立てることは重要なことです。しかしそれだけではなく、患者さんが今、「何を不安に思い、何を不自由に感じ、どうすることを望んでいるのか」、その訴えに寄り添い、共感することは医療人として最低限必要なことだと感じました。一人の患者さんと向き合うとき、その背景にも同時に向き合い、尊重しなければいけないと反省しました。

 初期研修の4分の1が終了した今、研修医としてどれだけのことができるようになっただろうと、不安になることがあります。また同じ病院の同期だけでなく、他院に勤める同窓生、研修医勉強会や学会で出会った他県の1年目と話をすると、自分の未熟さや不勉強さをふがいなく思うことも多々あります。
しかしそのような刺激があることで、新たな疑問に出会い、勉強して診療の場に生かすこともできます。
 「医師は一生勉強をつづけなければいけない」とたくさんの先生方から教わったことを実感しておりますが、常に前進を続ける姿勢を保ち続けていきたいと思います。
 また、私たちの代からは専門医制度が改変されます。初年度であり、具体的にどのようになっていくかはまだ不明確ではありますが、より網羅的な知識や技術が必要になることは確かだと感じています。
初期研修という期間は様々な診療科をローテートすることで、多くの専門的なことを実践的に学べる、貴重な期間です。今から1年後には自分の進む診療科を決定し、将来に向かって邁進していると思います。それまでに多くのことを学び、将来の自分の糧にしていきたいと考えております。

 ある日、外来を歩いていると待合の廊下で、「先生」と呼び止められました。振り返ると、私が学生時代に担当させていただいた患者さんとそのご家族がいらっしゃいました。
 「本当に『先生』になられたんですね」と柔らかい笑顔で話しかけられ、思わず私も笑顔になりましたが、同時にどこか恥ずかしいような気持ちにもなりました。
 免許があれば医師を名乗ることはできます。しかし本当に医師として必要なものはそれだけではありません。患者さんが信頼して「この先生と一緒に歩んでいこう」と思っていただいたときに初めて一人前の医師になれるような気がします。きっと患者さんにそう思っていただくには、十分な知識や技術、そして人々に向き合う姿勢が重要なのだと感じています。
そして、私にはまだ不十分であることばかりです。
 この半年間、尊敬する先生方やスタッフの皆さん、優秀な同期や担当させてくださる患者さんに支えられて様々なことを学ばせていただきました。至らないところも多い私ですが、早く一人前の医師になれるよう、「先生」と呼んでいただけたことを恥じぬよう、努力を惜しまずにいたいと思います。

平成28年1月1日


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