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研修医手記

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岐阜大学医学部附属病院 初期研修医1年目 高橋 かおり(7ヶ月の研修生活を終えて)

kaori.jpg 「将来の夢は医師になることです。」が、「志望科は産婦人科です。」となって早6年。この春からは、母校岐阜大学附属病院に初期研修医として帰ってきました。研修が始まり7ヶ月が過ぎようとしていますが、落ち込んだり泣いたり笑ったりの充実した毎日を過ごしています。

 先輩方のお話を聞かせていただくと、皆さん口を揃えて2年間は長いようで短いとおっしゃいます。実際私自身も11月の研修生活なんてまだまだ先のことだと思っていましたが、気づいてみればもう間近に迫っています。特に私たちの研修生活は、1~2ヶ月ごとにそれぞれの科をローテーションするものですから、目の前の仕事を夢中にやっていたら○○科の研修は残り数日になっていた、なんてことも稀ではありません。先生方が当たり前のように出来ていることが出来るようになるには全く時間が足りないのも事実です。自信を持って○○が出来るようになった、という領域まではなかなか達する事が出来ないこのシステムで研修する中、自分を支えてくれている恩師の言葉があります。

『研修医時代は、球拾いをしなさい。』

 これは5年生の実習の時、ある先生がおっしゃった言葉です。研修医の間にホームランが打てるようにならなくていいんだ、まず自分に出来ることからコツコツ始めていこう、それがいつかきっと自分のためになるはず。その言葉のお陰でこう思える私がいます。今後も目まぐるしくローテーションする研修医生活となりますが、どこの球場に行っても、どこのポジションとなっても、まずはしっかり球を拾えるよう鍛練してゆきたいと思います。

 この7ヶ月間、たくさんの患者さんを担当させていただきました。その中には、残念ながらお亡くなりになられた患者さんもいらっしゃいます。私は亡くなられた患者さんたちをお見送りする度に、現代の医学を以ってしても避けることが出来ない死というものを痛感しました。そんな中、患者さんを診るこ とで精一杯だった私に気づきを与えてくれた言葉があります。

『患者の家族もまた、もう一人の患者である。』

 その言葉は私にとって大変衝撃的でした。医師として、死を避けることが出来なくなった患者さんのことをどう癒すことができるのか、その答えを模索する中での出来事でした。確かにそれまでの私を振り返ると、御家族に十分な配慮が出来ていなかったように思います。突然癌のターミナルであることが判明した患者さんの御家族にICを行った翌日のことでした。急激に状態の悪くなった患者さんの横で、涙を流されている奥さんにどんな言葉をかければ良いのか分からず、当たり障りのない言葉しかかけることのできなかった自分がいました。虚しさが込み上げてきました。そんな中でこの言葉と出会い、患者さん自身はもちろん、どうしたら御家族の支えとなることができるのか、そんな思いをもつようになりました。きっとこの答えをすぐに見つけることは出来ないと思います。けれど、死という人生最後の時を共に過ごさせていただく者として少しでも患者さんを癒すことのできる存在でありたいと願いますし、また残された御家族の方々の支えとなる存在でありたいと思います。私がこの先出会うであろう方々のお力となるためにも、この気持ちを忘れず毎日を過ごしてゆきたいと思います。

 この7ヶ月間、悩んだり落ち込んだり涙を流したりしたこともたくさんありました。医師に向いていないんじゃないかと思ったこともありました。 けれど今は学生時代お世話になった方々、私を指導してくださる先生・コメディカルの方々、そして私の夢を応援し続けてくれた家族、みなさんのお陰でずっと夢見ていた仕事が出来ること、これ以上の幸せはないと感じています。私を支えてくださった方々 に感謝の気持ちを抱きながら、この時代にやりたい仕事が出来る喜びを忘れず、日々少しでも成長できるよう頑張ってゆきたいと思います。

平成23年1月1日

掲示者

岐阜大学医学部同窓会
事務局長 横山年光

岐阜市柳戸1番1
電話 058-230-6091
FAX 058-230-6092


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