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研修医手記

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羽島市民病院 研修医1年目 村橋 賢祐(part31)

shuki31.jpg 常日頃は「記念会館だより」は読む側ですが、書く側に立つ機会をまた与えてくださったことを光栄に思います。拙い文章ですが、自分の今の心境などを振り返り、先生方に研修医時代を懐かしんでいただけたらと思います。こちらに投稿させて頂くのは2回目で、1回目は岐阜大学医学部に入学したときのことでした。生化学、生理学の話や部活の話などを書いた記憶があります。それから6年間という月日が経ちました。あっという間に過ぎた気が致します。多くの友人に囲まれて、勉学、遊びに精を出しました。価値のある6年間を過ごしました。国家試験勉強は最初は一人で頑張ろうと思っていましたが、やはり仲間がいないと続けられませんでした。声をかけあって、問題を出し合って、ときには息抜きをして、モチベーションを高め合える仲間がいなかったら、乗り越えられなかった気が致します。3日間あった国家試験は緊張と興奮で、軽いせん妄状態でした。試験直後の打ち上げで同期と飲んだ乾杯のビールは今まで飲んだビールの中で一番美味しかったと記憶しています。自己採点で合格は分かっていながらも、あってないような禁忌踏みにビクビクしながら合格発表を待っていました。合格発表は保健所の近くの郵便局の前でした。携帯電話で合格の番号を確認しました。大学の合格発表のときもそうでしたが、自分の番号はあっという間に自分の目に飛び込んできました。親に合格を連絡し、その郵便局で収入印紙を購入致しました。免許申請のための6万円の収入印紙を合格前に買う勇気は持ちあわせていませんでした。合格の喜びで印鑑を押す手が震えていました。
 医師免許を手に入れて、一人暮らしを始め、社会人となりました。実家から大学に通っていたため、家事もままならない中、研修医生活が始まりました。「学生さん」から「先生」へと呼ばれ方が変わりました。国家試験を乗り越え、ある程度の医学知識はあるものの、実務経験がない中で「先生」と呼ばれることに違和感を覚えましたが、それほどの責任がある職務についたのだと再確認しました。
 私が研修先に選んだ病院は、研修医の数が2年目の先生と合わせて、現在は5人です。同期は私を含めて2人です。研修医の人数が少ないですが、お互いに声を掛け合って頑張っています。外来、病棟などでは、経験豊富な看護師さん達に可愛がってもらっています。若い看護師さん達より少し気が楽です。「先生、何してるの!」というお叱りの言葉にも愛情を感じて止みません。お菓子、飴玉で買収され、いつもニヤニヤしている研修医は少し気持ち悪いのかもしれませんが、当の本人はとても幸せに研修しています。アットホームな雰囲気に包まれて仕事が出来ています。そういった面でもこの病院でよかったと感じています。
 私は今25歳です。平成3年生まれです。平成生まれと職場で発言するととても驚かれます。いわゆる「ゆとり世代」ど真ん中です。無駄なことが嫌い、積極性に欠ける、争いを好まないなどの特徴があるとよく言われる世代です。研修医の指導の講習を受けられた先生からは、「とにかく褒めなさい」といった内容の講習だったと伺いました。ご不便をかけて申し訳ないと感じています。私たちの世代はモラトリアムの期間も長くなっている気が致します。医学科は6年間あり、ただでさえモラトリアムの期間が長く与えられていますが、研修医制度は更なるモラトリアムの期間の延長でしょうか。私たちには今後を考える時間が多く与えられています。そういった意味では幸せなのか、あるいは考えなければいけないという意味で不幸なのか、そのあたりは何とも言えません。どの科に進むのかも考える時間が多いため、絶対に後悔しない選択をしたいと慎重になっている研修医は私以外にも多いと思います。薬剤の進歩だけでなく、ロボット、AIなどの進歩が著しく、今後医師の仕事を奪っていくのではないか、人口減少の中で生涯に渡って医師人生を続けられるのかなどそういった不安もないわけではありません。医師になったから、これで一生安泰だと言える時代ではなくなってきたと思います。しかし、私は医師として生きていくことを決めた以上、この仕事でどのように生き残っていくかを真剣に考えなければいけません。ただ色々考えた挙句、将来は読めないという結論に至り、自分の好きなことをするのが一番いいのではないかと思っている部分もあります。医学はどの分野も尽きることのない面白さがあり、科をローテートする度に、その科に惚れ込んでしまいます。研修医生活が終わる頃、自分がどのような決断をしているのか楽しみでなりません。
 1日が終わっていつも研修医同士で「今日はこんな症例があった」と小さなカンファレンスをしています。もっとこうした方が良かったんじゃないかと意見を交換し、次の診療に生かしています。情報交換をして互いを高める時間が作れています。自然発生的に出来上がったこのカンファレンスは、義務でやっているわけではないので、とても気が楽ですし、意見を交換し易い環境です。小さな研修医室でカルテを見ていると直ぐに「どんな症例?」と声をかけたり、かけられたりします。2年目の先生は私とは1年の経験の差ですが、その1年が大きく感じます。疑問も安心してぶつけられます。このような時間はとても有意義で、幸せだなと感じます。やはり仲間やチームというのは心の支えです。
 先日外科のセミナーに参加してきました。そこで先生方はお互いの手術について意見を交わしていらっしゃいました。中には非常に厳しい意見もありました。岐阜の医療の底上げのために奮闘する先生方の姿を目の当たりにしました。技術認定医についても話を伺いました。非常に難しい試験だと思いました。専門医や認定医なども大きく変わり、これからは自分の医療の力量が問われる時代になっていくと感じました。高齢化、地域の過疎化などその他問題は山積みですが、自分にできることを考えていきたいと思っております。これから医師生活はまだまだ長いですが、私達の世代でも、岐阜の医療をさらに盛り上げて行ければと思います。
 医療には経験が大事だと痛感しています。多くのことを経験して一人前の医師になりたいと考えています。これからもご指導のほどよろしくお願いします。

平成29年1月1日


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